♪ルールル ルルル ルールル ウキウキウォッチングが終わって久しい今、お昼の顔として黒柳徹子(くろやなぎ てつこ)さんが定着してきましたね。
2015年5月27日には、1976年2月の放送開始から1万回という記録を達成した『徹子の部屋』すごい!
2015年の大晦日には紅白歌合戦の司会もつとめ、これは史上最年長記録となりました。そんな徹子さんの歴史にせまります。
黒柳徹子のプロフィール
- 本名:黒柳 徹子(くろやなぎ てつこ)
- 生年月日:1933年8月9日
- 出身地: 東京府東京市赤坂区乃木坂
- 身長:??㎝
- 血液型:A型
- 兄弟:弟2人、妹(他に死別の兄1人)
- 学歴:トモエ学園、香蘭女学校、東洋音楽学校(現:東京音楽大学)声楽科卒業、慶應義塾大学文学部(聴講生)
黒柳徹子を知らない日本人はいない!というぐらい高い知名度の徹子さん。慈善活動など、その活動の場は国外にまで及びます。
驚いたことに、そんな徹子さんのご両親やご家族も、その業界では名を知られた人だというのです。
両親や家族がすごい!
徹子さんが生まれたのは、現在の東京都港区乃木坂。そして、大田区北千束町で育ちました。
お嬢様学校としても名高い香蘭女学校(こうらんじょがっこう)を卒業していることから、裕福な家庭に育ったことがわかります。
- 父親:黒柳 守綱(くろやなぎ もりつな)NHK交響楽団や東京交響楽団などのヴァイオリニスト。
- 母親:黒柳 朝(くろやなぎ ちょう)声楽家でエッセイスト。著書『チョッちゃんが行くわよ』は、NHK連続テレビ小説でドラマ化されている。
- 弟:黒柳 紀明(くろやなぎ のりあき)ヴァイオリニスト。フロイデフィルハーモニーで第二ヴァイオリンのトップを務めている。
- 妹:黒柳眞理(くろやなぎ まり)元バレリーナ、エッセイスト、美容家。ボリショイ・レニングラードバレエ団でプロバレリーナとして活躍していた。
音楽家や随筆家など、子どもたちがみなご両親の血をしっかり受け継いで活躍されているというのはすごいですね。
中でも徹子さんの活躍が抜きん出ているわけですが、幼少期にはたくさんの問題を抱えた女の子だったと言います。
発達障害と言われた子供時代
公立小学校に入学した徹子さんでしたが、問題行動が原因で1年生のときに退学させられました。
それについて、ベストセラーとなった自著『窓際のトットちゃん』に書いています。
「蓋つきの机の蓋を100回ぐらい開け閉めする」
授業で書き取りを行うとき、ノートを取り出してパタン。鉛筆一本取り出してパタン。消しゴムを取り出してパタン。使った消しゴムをしまうためにパタン。一文字書くと鉛筆をしまうためにパタン。ノートをしまうためにパタン。これを繰り返す。
「画用紙をはみ出して絵を描く」
図工の時間には「国旗を描きましょう」という先生の指示で、国旗を描き始めるもどんどんそこに脚色を加えていき、しまいには机にも絵を描きはじめてしまう。
いわゆるADHD(注意欠陥・多動性障害)のような症状ですが、まだ『発達障害』なんて言葉がない時代ですから、周囲からは「変わった子、問題のある子」として特別視されていたことでしょう。
しかし母はそんな娘を認め、彼女が彼女でいられるように自由に育ててくれたと言います。
今の徹子さんがあるのは、こういった母親の愛情あってのことなんですね。
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若い頃の画像にびっくり!
オペラ歌手を目指し、東洋音楽学校(現:東京音楽大学)に進むも夢叶わず。
そんなときに、たまたま目にした新聞広告にあった『NHK放送劇団の俳優募集』に応募するのです。
オーディションでは徹子節が炸裂するも、約6000人という応募者のうち合格者13名に選ばれ、NHK放送劇団5期生として活動をはじめました。
トレードマークのタマネギ頭がかわいい!若い頃の徹子さん。
しかし当初はその個性が邪魔をして仕事に恵まれずにいましたが、劇作家の飯沢匡(いいざわ ただす)氏との出会いから、それは好転していくのです。
「君のその個性が欲しいんだ」飯沢氏のこの言葉で、その才能を開花させていった徹子さん。
ついには1958年の第9回NHK紅白歌合戦の司会に25歳という若さで抜てきされるほどに。この最年少記録は現在も更新されていません。
結婚破談の過去も
「結婚よりも仕事に生きてきた女性」そんな風に思っていましたが、ところが徹子さんにも”結婚願望があった”ことを『徹子の部屋』で語っています。
聞き出したのはマツコデラックスさん、さすが。
マツコ:プライベートの事もお聞きしてよろしいでしょうか?
徹子:良いですよ。お話ししたくなければ、お話ししないから。
マツコ:気になっている人も多いと思うんですけど、ご結婚?
徹子:結婚しようと思いましたよなんどか。過去に3回お見合いした。
そして、3度目のお見合いで出会った方と結婚の話が具体的に進んでいったようです。なんと結納まで済ませているというので、これは本気ですね。
しかし「ひとつでも気に入らないところがあったら結婚しないほうがいいよ」という離婚歴のある方からのアドバイスにより「歩いてる時の感じがちょっと好きじゃないわ」なんて思った徹子さんは、この結婚を破談に・・・
徹子:「ママあたしやっぱり(結婚)やめようとおもうんだけどって言ったら、うちの母も、そうね〜やめたほうがいいかもしれないわね〜って言って」
引用:ここだけの話 内緒だお
母娘そろってなかなかの潔さ。
その後も、お付き合いした人たちからのプロポーズをうけ2〜3回ほど結婚のチャンスがあったそうなんですが、それを受けずに今に至るという感じなんですね。
「仕事よりかは結婚を取ろうって、思ってましたからいつでも」と、結婚願望を語る徹子さんですが、仕事への情熱ほどに結婚に傾けられるものはなかったのかもしれませんね。
弟の事件で隠し子発覚!?
そんな徹子さんに『隠し子騒動』なんてあったのご存知でしたか?
事の発端は、1998年1月24日に徹子さんの末の弟とされる黒柳貴之(くろやなぎ たかし)さんが、覚せい剤使用で現行犯逮捕されたことでした。
貴之さんと徹子さんの年齢差は24歳。そんなに歳の離れた弟が!?と当時、話題となりました。
徹子さんの母が47歳で出産したことになり、1950年代ではあまりにも高齢出産すぎないか?という疑念から発したものでした。
いや、でもこれはこの時代だからこその年齢差ではないですかね。
事実、うちの祖母も末の妹とは27歳差で、しかもこの末の妹と私の母が同い年。つまり母と娘が同時期に妊娠・出産していたということですね。
なので超高齢出産も年の差兄弟も、むしろこの時代では特別なことではなかったのでは?
貴之さんが生まれたと思われるころ、徹子さんは1週間で7〜8本のドラマに出演、ラジオも3〜4本抱えるほどの売れっ子でした。
そのため過労で倒れて1ヶ月ほど入院を余儀なくされたということですが、まさかそのときに出産・・・いやいや、無理でしょ。さすがの超人・徹子さんでも。
「子どもに読み聞かせをするお母さんになりたい」という徹子さんの想いは叶いませんでしたが、ユニセフ親善大使として世界中の恵まれない子どもたちへの支援を続けるなど、徹子さんは偉大で素敵な「お母さん」だと思います。
コメント
黒柳徹子さんは物心着いたときから玉ねぎおばさんとして記憶していましたが、現在仕事の急な休みとかでたまにテレビでお見かけしてました。
あれから随分時も過ぎかなりのご高齢なのだろうと思いながらも、どこか周りの方達とは違うなぁと感じていました。
やっぱり若かりし頃のお姿、とてもお綺麗ですね‼!そうそう見かけない程の、お美しさです‼
お年をとられての活動はさぞ大変でしょうけど、自分達にとってはいつまでも元気で明るい玉ねぎおばさんでいて下さい♪゛応援していまーす(ノ´∀`*)
徹子さんのお母様である黒柳朝さんがご自身のエッセイ『チョっちゃんが行くわよ』の中で貴之さんを47歳で出産され、家族みんなで可愛がって育てたと書かれていらっしゃいます。この本の出版は昭和57年なのに、なぜ未だに「徹子の隠し子」「存在しない」という噂があるのか理解できません。