安室奈美恵、亡き母親が手記に綴った不遇の生い立ち。親の離婚と貧困を経て

2017年9月20日、突然の引退宣言をした安室奈美恵さん。日本中が騒然となったし、なんか今でも信じられない。歌の世界からいなくなっちゃうなんて。

私なんかは夜もヒッパレ時代からみてきた世代だけれども、もう40歳になるのか。そりゃそうだ、自分のこと考えればわかるわな。

かわいくてパワフルだったあの頃から、年月を経て、大人の魅力と美しさをまとい、その歌声から伝わるメッセージは強くなるばかり。

ずっと日本の歌姫として君臨してくれるものだと、当たり前のように思ってたけど。

改めて安室奈美恵さんについて知りたいと、母親が書いた手記を読みました。

母親の事件のこと

まず触れておきたいのは、安室奈美恵さんの母・平良恵美子さんが亡くなった事件のこと。

1999年3月、沖縄県国頭郡大宜味村で夫と歩いていた恵美子さんは、義弟(夫の弟)が運転する車に何度も何度もひかれたあと、ナタで切りつけられ殺害されました。

その後、義弟は山中で自殺し、事件の真相も葬られることに。

センセーショナルな事件がニュース速報で流れたことを覚えています。ワイドショーは連日この話題でもちきりでした。

安室奈美恵さんは当時21歳。ひとり息子の温大(はると)くんが生まれて1年もたっていない頃に起こった悲惨な事件でした。

この事件の半年ほど前、母・恵美子さんは安室奈美恵さんについて書いた1冊の手記を出版しています。

約束―わが娘・安室奈美恵へ』安室奈美恵さんだけでなく、母自身の生い立ちにまで触れられた極プライベートな内容です。

貧しかった少女時代、それでも強い意志で歌手を目指したこと。そこには母の愛と、安室奈美恵さんの軌跡が克明につづられていました。

母親はハーフが理由で差別された

恵美子さんの母、つまり安室奈美恵さんの祖母は、かつて歯科医と結婚していましたが、子宝に恵まれず離婚させられてしまいます。

その後、米軍基地で働くようになり、身ごもったのが恵美子さんでした。

相手とは結婚することはなく、恵美子さんは父の顔を知らないまま育ちましたが、その風貌から「父が日本人ではない」ということは明らかでした。

当時の那覇では、街を外国人が歩いていることが珍しく、恵美子さんは父親譲りの容姿のせいでいつも好奇の目にさらされ、同級生にもいじめられていたそうです。

母親がハーフということは、安室奈美恵さんはクォーター。

安室奈美恵さんが有名になる前は「沖縄の人」に触れる機会はあまりなかったので、てっきりあの感じが「沖縄顔」なんだと思ってました。

安室奈美恵さんの影響で”ガングロ”なんてのも流行ったけれど、彼女自身は”地黒”を気にしていたというんだから驚きです。

兄と姉は白人の血をひく母の影響で色白だそうです。

両親不仲の家庭で不安定に

恵美子さんは20歳のときに、沖縄出身の男性と結婚。一男一女をもうけます。

そして1977年9月20日、次女・奈美恵さんが誕生します。3980グラムという大きな赤ちゃんで、当時ドラマで大原麗子さんが演じた役名から「奈美恵」と命名されました。

3人の子どもに恵まれて幸せそうに思いますが、実は夫婦仲は最悪でした。

毎晩大声で怒鳴りあい、物が飛んだり、暴力なども。幼い安室奈美恵さんはいつも部屋の隅で震えていました。

母親自身も気性が激しく、安室奈美恵さんはそんな母にも怯えていたといいます。

次第に精神状態は不安定になり、心配した保育園の先生が「うちに泊めます」と引き受けてくれることも何度もあったそうです。

両親の離婚で貧乏生活

安室奈美恵さんが4歳のとき、両親は離婚。子どものことを考え、離婚しても姓を変えずに、父親の「安室」を名乗りました。

実家にも頼れず、母子家庭となった母親の毎日は壮絶でした。

朝6時起床。朝食の支度と子どもの準備を整え、7時半に家をでて安室奈美恵さんを保育園に送り届け、そのまま出勤。

勤め先から家に電話して兄・姉が学校に行ったかどうか確認。夕方17時に安室奈美恵さんをお迎えにいき、その後、勤め先に戻り19時まで仕事。

家に戻ると夕飯を作り、21時に夜の仕事。帰宅は2時。

ホステスの仕事のために、飲めないお酒を飲み、タバコも覚えました。ハードな生活の上に不摂生もたたり、過労で倒れ1週間入院したことも。

そのうえ長女には喘息の持病があり、入退院の繰り返し。夜中にスナックを抜けて、病院に連れて行くことも何度もあったそうです。

また32歳のときには子宮ガンを患い、子宮を全摘出。2ヶ月の入院生活のあと、少し療養すると再び元の生活に戻りました。

沖縄だとあまり仕事もなかったろうし、掛け持ちで働くとなると割りのいい夜の仕事っていう選択肢になるんだろうけど。

お母さんも辛いけど、子どもたちも本当に頑張ってたんだろうね。

そんなに働いても生活は楽にはならず、ほんとうに苦しかったと記されていました。

幼いころから我慢を身につけ

家の経済状態を察して、安室奈美恵さんが何かをおねだりすることはありませんでした。

洋服も姉のお下がりや、母親のお古ばかり。そのせいか物欲もあまりなく、それは売れっ子になっても変わりませんでした。

事務所の社長が、彼女の誕生日になにか欲しいものをたずねても「何も欲しいものはありません」という。

仕事でロサンゼルスにいったときも、気に入った洋服をみつけても手にとっては戻すを繰り返してなかなか買わない。

それを見た社長がじれったくなって「奈美恵、おまえはスターになったんだから、それぐらいの洋服、ため息つかずに買えよ」と言って、お金を立て替えて買ってくれたそうです。

(引用:約束―わが娘・安室奈美恵へ

なんだかちょっとせつなくなるな。

アクターズスクールとの出会い

奈美恵が小学校4年生の秋でした。突然、私に「明日、一緒に行って欲しいところがあるの」と真剣な顔で言ってきました。

「行くってどこね?」

「アクターズスクール」

「アクターズスクールってどこね?」

「とにかくお母さんも一緒に行って」

なにもわからないまま連れていかれたのが、沖縄アクターズスクールだったんです。

(引用:約束―わが娘・安室奈美恵へ

今でこそ、安室奈美恵さんやMAXの功績によって有名になったアクターズスクールですが、当時は沖縄の人たちでさえあまり知らない場所でした。

母が出向くと、突然、マキノ校長との三者面談のような様式に。

「うちに研究生として入れたいので承諾して欲しい」

どうやらアクターズスクールに通う友人の練習風景を見学にいった安室奈美恵さんを、マキノ校長がスカウトしたようなのです。

1万円の月謝を捻出することは難しいとしぶる母に、「お金はけっこうです。特待生として、とりあえず2年間預けてください」と提案。

さらに「この子は絶対にモノになります」と力強い言葉まで発した校長でした。

なんという先見の明。このマキノ校長の審美眼が安室奈美恵さんの運命を変えたんですね。人生は動き出します。

家出同然に東京へ

月謝は免除されましたが、週3回のアクターズスクール通いには交通費も発生します。バスで往復260円、週3で780円。だけど、そんなお金も出せない。

安室奈美恵さんは、徒歩で往復3時間の道のりを週3回通い続けました。レッスンは夜の18時から21時まで。そんな時間に1時間半も歩くんです。

危ないよね。せめて帰りのバス代ぐらい出してあげたらいいのにって思ってしまうけど、お母さんもそういう状況じゃなかったのか。

だけど、それをやり通したことは彼女にとって大きな意味があったんでしょうね。

小学生の女の子がどんな想いで歩いていたのかと思うと、なんか胸がいっぱいになるわ。安室ちゃん、本当にがんばったんだね。

中学校に行かなくなる

アクターズスクールに入学して3ヶ月後、スクールに内緒で出場した地元のカラオケ大会で優勝します。

いつもスタジオの隅で、ひっそりといた安室奈美恵さんの別人のような姿に周囲は騒然としました。

その優勝を機に『スーパーモンキーズ』が結成され、2ヶ月に1度のペースで定期公演がはじまり、練習はよりハードになっていきます。

那覇市立石嶺中学校に通うころには、完全にアクターズスクール中心の生活となり、学校の運動会もお昼で抜け出してアクターズのイベントに出演するほど。

中学2年生の終わりには、学校も休みがちになりアクターズスクールばかり。東京での仕事も増えていき、中学3年生には欠席日数が100日にもなりました。

ドラマ『いちご白書』もこの頃だと思う。安室奈美恵ちゃんの顔の小ささにも驚いたけど、辺見えみりちゃんのコロコロっぷりのほうが気になってたわ、当時。

ドラマなんてやってると、本当に学校いく時間も気力もなくなりそうだわ。ましてや、沖縄と東京で移動距離もあるし。

それでもまたお母さんとしては、「娘が芸能界でやっていく」なんてことはまだ思っていなかったそうです。

家出同然で東京へ

中学3年生の3月、とうとう東京行きが決まりました。出発の朝、母は感情を抑えきれなくなってしまうのです。

身支度する奈美恵の姿を見たとたん、私は思わず叫びました。

「東京なんかにいっちゃだめ!」

もちろん、それを聞き入れるような奈美恵ではありません。ボストンバッグに衣類などを詰めながら「嫌だ、行く」と答える顔は怒っているようにも見えました。

(中略)

バッグの引っ張り合いになりました。奈美恵の目には涙があふれていました。

奈美恵が涙をぽろぽろ流しながら言った「絶対に成功するから」という言葉を聞いたとたん、バッグをつかむ手から力が抜けてしまったんです。

(引用:約束―わが娘・安室奈美恵へ

出発の朝に、お母さんにこれを言われちゃうと辛いね。

きっと本人だって不安だったろうし、寂しかったろうし。ぐっと堪えてたものが溢れちゃって、安室ちゃんも辛かったろうなって思う。

もちろん我が子を送り出さなきゃいけない親も辛い。なんてったってまだ15歳だもの。

再婚を事後報告するって…

手記には安室奈美恵さんへの想いがあふれています。が、ところどころ気になるところもなくはない

安室奈美恵さんがすでに有名になった頃、母は再婚しました。

だけどこの再婚のことは安室奈美恵さんには事後報告。電話で「お母さん、今日から『平良』になったのよと伝えた」とか。

そもそも離婚のことも、当時中学生の長女に事後報告。喘息で入院してたからという理由だったけど、そういうもん?

一番もやっとしたのは、再婚相手に安室奈美恵さんの存在を隠していたこと。その隠し方も「子どもは2人しかいない」と存在自体消してたこと。

「芸能界に偏見のある沖縄だから」「ダメになったとき、いつでも戻れるようにしてあげたかったから」と言うけど、ちょっと理解できない。

きっとね、お母さん側からしか語られていないこの手記には書かれていない、安室奈美恵さんの苦悩はいっぱいあると思うんですよね。

苦労と努力の歌姫だと思う

貧しくて辛い生活の中で、アクターズスクールは安室奈美恵さんにとっての生きがいとなって、そしてそれが花開いて本当によかった。

お母さんの事件のことは、もう悲惨すぎて言葉もないけど、それでもこれからもずっと幸せな人生を歩んで欲しいです。

安室奈美恵さんがここまで苦労の生い立ちを歩んできたとは知りませんでした。いろんな思いでこれまでの歌を聴きなおしてみようと思いました。

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