今や深夜ドラマの顔となったオダギリジョーさん。
ドラマだけでなく、映画にもひっぱりだこで、その多忙さゆえか、妻である香椎由宇(かしい ゆう)さんとの離婚の噂が後を絶ちません。
離婚の噂っていうのは芸能人カップルあるあるって感じですね。
2015年4月、この夫婦を大きな悲しみが襲いました。当時1歳だった次男の死。そんなこと…夫婦の悲しみは想像を絶します。
オダギリジョーのプロフィール
- 本名:小田切 譲(おだぎり じょう)
- 生年月日:1976年2月16日
- 出身地:岡山県津山市
- 身長:176㎝
- 血液型:O型
- 兄弟:ひとりっ子
- 学歴:津山東小学校、津山市立北陵中学校、岡山県作陽高等学校卒業、カリフォルニア州立大学フレズノ校中退
オダギリジョーさん、いかにも芸名っぽいかっこいい名前ですが、これ本名でした。小田切譲。ユズルではなくジョウと読むそうです。
なんてかっこいい。
“小田切”と聞くと、篠原千絵さんの漫画『闇のパープルアイ』が頭をよぎるのは私だけでしょうか。すみません、分かる人だけ受け止めてください、このネタ。
そんな黒豹・・・あ、いやオダギリさんですが、なんかちょっと影があるその雰囲気そのままに、その生い立ちは“孤独”だったと言います。
孤独な生い立ち
オダギリさんは岡山県に生まれました。幼い頃に両親が離婚しており、母は女手ひとつでオダギリさんを育ててきました。
不自由な想いはさせたくないと、朝昼はパートやアルバイトをこなし、夜はスナックを経営するなど働き詰めの日々を送っていたと言います。
母は朝になると幼いオダギリさんを映画館に連れて行きました。そしてそこにオダギリさんを残して仕事に行き、夕方また迎えにくるという生活を送っていたのです。
ひとりっ子の息子を、1人きりにさせないためだったのか…
とはいえ、小学校にも入学していない幼い子供が、そこに1人でいることはとても寂しかったでしょう。
映画と言っても子供向けアニメばかりじゃない。よくわからない外国の恋愛映画やアクション映画のときもありました。
字幕の字も読めなかっただろうし、ただそこで母が来るのを待っていたのでしょうね。
インタビューでオダギリさんは、「僕は孤独をそんなに苦とは思わない」と言っていますが、やはり子供のときのそれはまぎれもなく『苦』だったと思います。
そうやって孤独に慣れていったのかもしれません。
小学校の同級生・河本準一
有名な話ですが、お笑い芸人・次長課長の河本準一(こうもと じゅんいち)さんとは小学校の同級生でした。
「モッチ」「ジョー」と呼び合う2人。
オダギリさんは6年生のときに転校してきたので、同じ教室で過ごしたのは1年だけですが、河本さんにとっては忘れられない1年となったのです。
河本さんも同じく転校生。3年生のときに越してきてから、女子にモテモテだった河本さんの前に現れたのがオダギリさんでした。
オダギリジョーと河本準一。女子たちが鞍替えするのはもうこれ仕方ありません・・・「全部もってかれた!」そんな河本さんでした。
それにしても岡山県のひとつの小学校に、オダギリさんと河本さんがいるってすごいですよね。
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高校や大学など学歴は?
2人が同じ学校に通ったのはそこまで。中学からは別々の学校になります。
オダギリさんは、中学を卒業すると岡山県作陽高等学校へ進学します。特進クラスだったので頭も良いんですね!
作陽高校はサッカーの名門校として有名で、Jリーガーも多く輩出しています。そしてオダギリさんもサッカーの腕前がすごい!モテますね。間違いない。
国立の高知大学に合格したオダギリさんでしたが、周囲の反対を押し切りカリフォルニア州立大学に進みます。このとき唯一味方になってくれたのが母でした。
映画館で過ごした経験からいつしか「映画を作る人」に憧れを抱くようになりました。
映画監督になりたい!映画と言えばハリウッドだ!と、あのクールなオダギリさんからは想像できない、熱い感じでアメリカに向かったのです。
しかし渡米し、何度目かの授業でオダギリさんは気づきます。「これは映画監督の勉強をするのではなく役者養成のコースだ!」と・・・
辞書片手に決めた進路が、まさかの誤訳だったという。
そんなわけで、映画監督ではなく演技の勉強をすることになったのでした。
特撮嫌いが仮面ライダークウガに
2年間アメリカで学んだあと、日本に戻って俳優養成所に。この頃にはすっかり役者を目指すようになったんでしょうか。
1999年、23歳のときに舞台『DREAM OF PASSION』で俳優デビューしました。
その翌年には『仮面ライダークウガ』の主人公・五代雄介(ごだい ゆうすけ)役に抜擢されるのです。
しかし、オダギリさんは大の特撮嫌い。「ヒーローとか怪人とか変身とか・・・本当気持ち悪い」と語るほどです。
東映の関係者に懇願され、嫌々ながら参加したオーディションでした。落ちようと臨んだにも関わらず、その力の抜けた感じが評価され、なんと主役に。
「役者を辞めようか…」とまで追いつめられたそうです。
といっても、オダギリさんは仮面ライダーであったことを隠してはいません。本当の黒歴史なら「嫌だった」と話題にすることもしないでしょうし。
【雄介登場】「クウガSP」のトリは、五代雄介を演じたオダギリジョーさんに取って頂きます!質問やメッセージは、本日10月3日(土)中にtakateradio@chofu-fm.com宛のメールか、本アカウントへのDMやリプで #怪ラジ pic.twitter.com/zZGLfEYl1E
— 高寺成紀の怪獣ラジオ (@kaiju_cfm) 2015, 10月 2
2015年にも、クウガスペシャルのラジオに出てます。
嫌だ嫌だといいながらも自分がやってきたことにしっかり誇りを持っていて、そこで関わった人たちとの関係はとても大切にしている。そんな様子が伺えますね。
香椎由宇と結婚
女優の香椎由宇さんと2008年に結婚。
2006年の映画「パビリオン山椒魚」の共演で出会い、2年間の交際を経ての結婚となりました。誕生日が同じ2人が入籍の日に選んだのは、もちろん誕生日でした。
意外にも11歳の年齢差がある2人。クールビューティーな香椎さんは、若い頃からかなり大人びて見えたので、あまりその差は感じませんね。
結婚会見では、オダギリさんは香椎さんについてこう語りました。
周りに媚びることなくカッコいい子。姿勢を尊敬できる。今、僕は31歳(香椎は20歳)ですが彼女の方がしっかりしていて充分に大人。年の差を感じたことはありません。
香椎さんのご両親はとても厳しく、当時20歳の香椎さんには“22時”という門限がありました。20歳で22時、厳しいですね。
オダギリさんがその門限をしっかりと守ってくれたことが、香椎さんの心を動かしました。「常に味方でいてくれて、ちゃんと話を聞いて理解してくれる」と。
お2人のような職業で、門限が22時となると、会える時間は本当に限られてくるでしょうね。
具体的なプロポーズの言葉はなかったものの、そんな厳しいご両親にオダギリさんが挨拶をしたことが、結婚の意思表示となったようです。
ちなみに、あまりテレビを観ない香椎さんのご両親はオダギリさんのことも知らなかったんだとか…香椎さんの育ちもかなり気になりますね。
離婚の噂
2011年2月に男の子が誕生し、2014年4月には第二子となる次男が誕生。順風満帆に見えた結婚生活ですが、離婚の噂があとを断ちません。
それもこれも、オダギリさんの仕事が“とても忙しい”ということが原因なのです。
今やその実力は日本国内を越えて、海外でも高く評価されています。そのため、海外での撮影など家を空けることが多いのだとか。
俳優としては非常に喜ばしいことですが、父親不在では香椎さんの不満も募っているのかもしれません。
東日本大震災から間もないときも、オダギリさんは仕事で家を離れなければなりませんでした。
仕事なんだから仕方ない。頭では分かっていても、誰もが心細かったあの時期に、長期で家を空ける夫に不満もあったでしょうね。
さらに放射能の影響を危惧してか、母子は沖縄に移住してしまうのです。別居。これが離婚を噂される原因となりました。
しかし、元々が別居生活のようなものでしたから、改めて“別居”という感覚は当人たちにはないかもしれませんね。
ところが、2015年4月、オダギリジョー・香椎由宇夫妻に、堪え難い辛い現実が突然やってくるのです。
1歳の次男が病気で急逝
1歳のお誕生日を迎えた直後の次男が、突然亡くなってしまったのです。
死因は、絞扼性イレウス(こうやくせいいれうす)。腸が圧迫されたりねじれたりすることにより、血管が締め付けられ、血液が流れず腸が壊死してしまう病気です。
誕生日の翌朝、次男の異変に気づいた香椎さんはすぐに病院に行きました。即入院、2日後には緊急手術。
しかし手術から6日目に容態が急変して、そのまま息を引きとってしまったのです。
1歳のお誕生日は、家族みんなで祝ったそうです。でも、それから1週間余りでその愛おしい姿を見られなくなるなんて…とても絶えられない現実です。
1才と9日。あまりにも短すぎる。
オダギリさんも香椎さんも憔悴しきって、やつれた様子だったと言います。
しかしそんな中でも4歳の長男は無邪気に、弟といつも観ていたアニメを何度も繰り返し観ていたんだとか。
まだ死を理解できていないそんな長男の行動が、余計に辛いです。
辛い別れからまだ半年。オダギリさんも香椎さんもまだまだ深い悲しみの最中にいることだと思います。しかし仕事はその傷が癒えるのを待ってくれません。
映画やドラマに相変わらず忙しいオダギリさんと、身を切られるような苦しみの中にいるであろう香椎さんの2人の時間が、少しでも持てますように。
心からご冥福をお祈りいたします。
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悲しい
心が痛い・・・