爽やかですよね、実に爽やかです。小泉孝太郎(こいずみ こうたろう)さん。
曾祖父から続く政治家一族に生まれ、父親は元内閣総理大臣・小泉純一郎氏、弟も衆議院議員の小泉進次郎氏ということは有名ですね。
政治というと、何やらドロドロとした権力争いを想像してしまいますが、そんな政治家一家で育ちながらこのクリーンさ、爽やかさは何事でしょうか!
小泉孝太郎のプロフィール
- 本名:小泉 孝太郎(こいずみ こうたろう)
- 生年月日:1978年7月10日
- 出身地:神奈川県横須賀市
- 兄弟:弟2人
- 身長:177cm
- 血液型:AB型
- 学歴:関東学院六浦小学校・関東学院六浦中学校を経て関東学院六浦高等学校卒業。日本大学経済学部経済学科出身
政治家の父親からは「政治家にはなるな、それ以外の道を探しなさい」と言われて育ちました。
過酷な世界に息子を置きたくないという父親の愛情だったのでしょうか。
4歳のときに映画『E.T.』に影響を受け、俳優という仕事に漠然とした憧れを抱いていた小泉孝太郎さん。
22歳のときに『21世紀の石原裕次郎を捜せオーディション』を受けました。
惜しくも落選するのですが、その翌年、父・小泉純一郎さんが内閣総理大臣になったことで息子である小泉孝太郎さんに注目が集まります。
「総理の息子がどうやらイケメンらしい」
そんな噂が広まり、いくつもの芸能事務所から声がかかりました。
俗に言う「親の七光り」。小泉孝太郎さんにとって「本意ではなかった」注目のされ方だったとのちに語りました。
そういった状況が辛くて、「自分は芸能の仕事に就くべきではないかもしれない」と悩みました。
悩んだ末、「このチャンスを逃したら後悔するかもしれない」と、七光りを受け入れて芸能界に飛び込むことにしたのです。
政治家の家系というと、思い浮かぶのはDAIGOさん。
彼も「七光り」を警戒し、ずっと祖父・竹下登氏のことを隠して活動していましたよね。
小泉孝太郎さんもDAIGOさんもクリーンよね。すごく真っ直ぐに育っているというかさ、好感が持てる。
両親の離婚。母・宮本佳代子
小泉孝太郎さんがまだ幼いころ、両親は離婚しています。
母・宮本佳代子さんは、青山学院大学に在学中に小泉純一郎さんと結婚しました。エスエス製薬創始者の孫娘にあたり、祖父はこの結婚に反対でした。
しかし小泉純一郎さんの猛プッシュにより1978年に結婚。その年の7月には小泉孝太郎さんが生まれます。もしかしたらデキ婚なのかな。
3年後の1981年には、次男の小泉進次郎さんが生まれます。
しかしその2年後、小泉純一郎さんと宮本佳代子さんは離婚することになるのです。
その理由は定かではありませんが、小泉純一郎さんの母親や姉たちと折り合いが悪かったとも噂されています。
政治家の家ですから、一般家庭にはない苦労もあったのでしょう。
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両親の離婚、最愛の母との別れ
子どもたちは父親が引き取ることになりました。ここでも壮絶なやりとりがあったと想像されます。
小泉孝太郎さんは4歳、弟の小泉進次郎さんは2歳でした。
母親が家を出る日、小泉進次郎さんは泣きながら母を追いかけました。その幼い子どもを小泉純一郎さんの姉が引き止めます。
小泉孝太郎さんは、ただじっと唇を噛んでこらえていたそうです。まだ4歳、弟と同じように泣いて追いかけたかったろうに、子どもながらに何かを悟っていたのか。
想像するだけで胸が痛みます。母と引き裂かれた幼い子どもたちも、かわいい我が子を置いていかなければいけない母親も。
さらに辛いことに、小泉純一郎さんの意向により、子どもたちと母親が会うことも許されなかったのです。
どんな事情があったのかはわかりませんが、その苦しみは想像を絶します。
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三男を妊娠中だった
驚くべきことに、このとき佳代子さんは3人目を妊娠中でした。
あろうことか、小泉家はこのお腹の子どもの親権をもとるために裁判で争うのです。ちょっとひどすぎますね。
裁判の結果、3人目の子供は母・宮本佳代子さんが育てることになりましたが、小泉純一郎さんは生まれた3人目の我が子に会うことはしなかったそうです。
小泉純一郎さんなりのけじめがあったのかもしれませんが、辛いですね。
のちに小泉進次郎さんのはたらきにより、親子が顔を合わせることになるのですが、25年もあとのことです。
父・小泉純一郎の子育て
ここまで聞くと、小泉純一郎さんの非道っぷりに驚くばかりなんですが。
だけど、小泉孝太郎さんは「尊敬する人は父親」だというんですよね。小泉進次郎さんも父の背中を追って政治家の道を選んだし。
離婚や母親との別離だけでは語れない、父子の絆があるということですよね。
少しの時間も子どもにあてる
政治家として超多忙な小泉純一郎さんでしたが、少しの時間が空けば自宅に戻り、小泉孝太郎さんらとキャッチボールをしました。
本当に短い時間。7〜8球を交わすともう仕事に戻らなければいけない。
小泉孝太郎さんは、あっという間に過ぎ去ってしまう父との時間を寂しく思いながらも、その短い時間を大切にしてくれた父に感謝していたと言います。
お金に関すること
裕福な家庭であったにもかかわらず、お小遣いはなし。お年玉ですら高校生のときに500円をもらっただけとか。
正月に、次々と訪れる来客からのお年玉もすべて断っていたそうです。
父親の前で財布を開けることは許されず「お金の計算をするな!」と厳しく育てられたそうです。
金と政治ともいわれる世界。「お金に固執する人間になって欲しくない」という父の教育方針があったのでしょうか。
楽な道を選ぶな
食事のマナーはもちろん、銭湯でさえも手ぬぐいの使い方についてチェックされるほど。
そこには、楽な道を選ぶなという、父親の教えがあったそう。「目の前に楽な道と辛い道があったら、必ず辛いと思った道に行きなさい」と言われて育ちました。
小泉孝太郎さんと小泉進次郎さん、異なる世界で活躍する2人だけどそういった幼い頃からの父の教えが出ていますよね。
弟・小泉進次郎とは仲がいい
俳優と政治家、別々の道を歩んでいる兄弟ですが、仲はすごくいい。
小泉進次郎さんのFacebookやブログには「おにい」もよく登場しています。
年末年始は久しぶりに家族や友人と会って、リラックスした時間を過ごせました。(2015/1/4 小泉進次郎Facebookより)
そしてムロさん!(笑) 小泉孝太郎さんとは本当に仲良しで、小泉家に溶け込んでますね。
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25年の時を経て三男と…
2008年に小泉純一郎さんは政界を引退しました。そのとき、政治だけでなく家のこともすべて小泉進次郎さんに後継したのです。
離れて暮らす三男のことにも触れ「今さら俺は会えないけれど、お前たち3人は兄弟なのだから仲良くすればいい」と話しました。
小泉進次郎さんはその言葉をうけて、弟に連絡をとりました。
それから間もなく兄弟3人がはじめて顔を合わせることになったのです。別れたとき、母のお腹にいた末の弟は25歳になっていました。
失った時間を埋めるように、その後も3人は何度も食事を重ねました。そしてついに父親を含めた4人での対面が叶ったのです。
別れた母親との再会
2013年11月、三男の結婚式には純一郎さんも参列し、孝太郎さん、進次郎さん、そして母親、再び4人が顔を合わせたのです。
出席者の1人が涙ながらに、こう語る。
「小泉さんも出席して…家族全員が揃って…本当に立派ないいお式でした」
(引用:NEWSポストセブン)
複雑な環境にありながら、全く擦れていないこの兄弟はなんなんだろう。彼らあっての親子の対面だったと思います。
最初は「七光り」で登場した小泉孝太郎さんでしたが、いつの間にか「小泉純一郎の息子」でなはく、小泉孝太郎になりましたよね。
これからもますますの活躍を期待しています。
コメント
日本は、離婚したら親子を生き別れさせるという風習があります。
夫婦喧嘩に子供を巻き込み、離婚したら子供から親を奪っても構わないと言う、親の都合で子供が親を失う子どもが、被害を受けます。
子供は本当の心を親に言えず、寂しさで非行に走ります。
小泉家はたまたま厳格な親の元、真っ直ぐに育ったかもしれません。
その他の離婚で片親を失う子供たちは、本当に寂しい思いをしています。
ましてや、日本の家庭裁判所は、離婚を有利に進めるための子供の連れ去りを認める国です。
ハーグ条約と言う国際的な子供の連れ去りは犯罪とする条約に批准したのに国内の子供の連れ去りが認められています。
日本は、北朝鮮を拉致大国と非難しながら世界中から子供の拉致大国と非難されてます。
日本も離婚したら親子を生き別れさせるのではなく、ステップファミリーという、新たな家族関係を築く時期に来ていると思います。
そうすれば孝太郎君も母親を失わずに育ったのではないでしょうか?
これからの人生兄弟の絆がより深い絆で結ばれることを願います。
私も、同じ境遇におります。自分の子供には、同じ想いをさせたくないです。小泉さんのご心情お察しいたします。政治家として、徹していかれることを強く願います。