大東駿介 ネグレクト壮絶な生い立ちの影響で隠しつづけた結婚と子どもの存在

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俳優の 大東駿介 (だいとう しゅんすけ) さんが、結婚して3人のお子さんの父親になっていました。

結婚自体は2015年12月とのことですが、報道も公表もされてなかったですね。

大東俊介さんは、結婚後も妻子とは別居を続けており、さらにこの事実は近親者にも伝えず、ひた隠しにしていました。

なぜ ”家庭” という形を持たなかったのか。

そこには、両親からネグレクトを受けて育ったという、大東俊介さんの壮絶な生い立ちが関係していました。

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大東駿介のプロフィール

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  • 本名: 大東 弘典 (だいとう ひろのり)
  • 旧芸名:大東 俊介(だいとう しゅんすけ)
  • 生年月日:1986年3月13日 (34歳)
  • 出身地:大阪府堺市
  • 身長:182cm
  • 血液型:A型
  • 兄弟:ひとりっ子
  • 学歴:大阪府立堺工業高等学校(現:大阪府立堺工科高校)卒業

ネグレクト・壮絶な生い立ち

大東駿介さんは、両親との3人家族。

タクシー運転手だった父親とは、もともと顔を合わせるタイミングがあまりなかったけれど、小学3年生のときに、両親が離婚していたことを知りました。

その後、母親が営むクリーニング店での2人暮らしがはじまりましたが、母親も次第に家を空けることが多くなっていきます。

そして大東駿介さんが中学2年生のとき、ついに帰ってこなくなりました。

ひとりで寝起きし、店のレジに残っていたお金で食べ物を買う。14歳で突然降りかかったひとり暮らし。

間もなくお金もなくなっていき、わずかな小銭をかき集めて駄菓子を買っては食いしのぐ日々でした。

学校に持参する弁当もなく、見かねた担任がみんなの目につかないように、パンなどを渡してくれていたと言います。

しかし次第に心は荒んでいき「自分は社会に出ちゃ行けない人間だ」と、自宅に引きこもるようになりました。

どん底から救った友人はあの芸人

2019年11月に出演した【A-Studio】で当時の様子を語る大東駿介さん。

大東「(当時) 世の中に怒りしかなくて。近所のおっちゃんが僕の家のドアを開けたとき、僕は鏡に写っている自分に向かって ”殺すぞー!” って叫んでいたんですって。全然覚えていないんですけど(笑)」

追い詰められ疲弊し、絶望の中に引き摺り込まれていく毎日の中で、自分を見失っていきました。

「ひとりでいたくないのに、ひとりでいたいと思っていた」そんなひきこもりの日々に、無理やりドアを蹴破って入ってきてくれた友だちがいました。

同級生のひとりだったその友人は、現在、お笑い芸人として活躍している金属バット・小林圭輔さん (左)。

ガリガリに痩せた大東駿介さんを見つけた小林圭輔さんは、自宅に連れ帰り、小林圭輔さんの母はたくさんの手料理を並べて迎え入れました。

そのときテーブルに並んだのは「えっ、普通の家庭ってこんなに食べてるの!?」とガリガリにやせた大東にとっては、驚くほどの豪華な料理の数々。「お寿司とカレー、焼きそば…もうたらふく炭水化物を食べさせるぞ!みたいな。いま思うと僕の生活わかって、食べさせるために…」と、優しさをかみしめていた。(引用:デイリー

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伯母にわが子のように育てられ

その後、大東駿介さんは伯母に引き取られることになり、その荒んだ生活は終わりをむかえます。

伯母が迎えにいったとき、大東駿介さんはうさぎのフンだらけの部屋で、眠っていたといいます。

ライフラインも止まり「野良犬みたいになっていた」「夜になるのが怖かった」と本人は当時を振り返り、本当にギリギリの状態だったことが伺えます。

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伯母の家には、大東駿介さんの8歳年上の従兄がいました。伯母はわが子と同じように大東駿介さんを育てました。

従兄のことを本当の兄のように慕い、上京後も2人で同居するなど、その存在が大きな支えになったのでしょうね。

再会を決めたとき父親はすでに死去

実は、父親の所在は判明していました。

大東駿介さんが27〜28歳くらいのときに見つかったのですが、心の折り合いがつかなかったため再会を拒否。

30歳になったとき、再会を決意したときには父親はすでに亡くなっていました。

2017年に公開された映画『望郷』で、”亡き父に後悔を持ちながら生きる” 男性の役を演じた大東駿介さんは、自分と重なるところがあったそう。

自身の父親をこう振り返っていました。

大東「親父は不器用だけど、めちゃくちゃドラマティックな生き方をしている人なんです。いろいろなものを巻き込んで、いろいろなものを失って。親父のそんな生き様にものすごく生命力を感じて影響を受けていますね。実は、ちょっとだけ親父も役者をやっていたという共通点もあるんです。今は遺伝子レベルで親父とのつながりを感じています。」(引用:マイナビウーマン

亡くなった父親の部屋には、大東駿介さんが載った雑誌がたくさん残されていたそうです。

結婚。入籍するが同居はしない

2015年12月。大東駿介さんは、当時、飲食業をしていた同い年の一般女性と入籍しました。

妊娠も分かっていましたが「家庭を持つ」という選択ができず、女性に「責任は取るし、妻と子供を支えていくけれど、ぼくはぼくで生きていきたい」と告げました。

妻はそれを了承し、別居生活がはじまりますが、面会は頻繁にしていたそうです。

2016年に長男が生まれ、その後も第二子・第三子と3人の子どもを持ちました。

兄弟を持つことは、長男のことを思っての判断だったといいます。

「ぼくがいられない分、家族という形をつくってあげたかった。お前が家族になれ、というお叱りの声があるのはわかるが、長男にとってもいちばんの理解者として、きょうだいがいるといいんじゃないかと思ったんです」(引用:NEWSポストセブン

結婚のことは、育ての親である伯母にもひた隠しにしていました。

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結婚を隠し女優Mと交際

2016年にはある女優Mさんとの交際がスクープされます。

このときはすでに入籍していたのですが、女優Mさんにもこの事実は告げていないと、大東駿介さん本人が明かしています。

女優Mさんとの交際は終わっても、それが世間に知られたことで、なおさら結婚の事実が明るみになることを恐れるようになります。

大東「保身…だと思います。隠していれば自由だと勘違いし、それで自分を守れると思っていたんです。(中略)それが公になったらどれほど世間に叩かれるんだろう、どれだけ相手が傷つくだろうとも考えました。」(引用:NEWSポストセブン

”家族になる”一歩を踏み出す

そんな大東駿介さんは2020年4月から、妻と3人の子どもたちとの生活をスタートさせました。

家族になる、大東駿介さんにとっての大きな一歩です。

心が動き出したのは、2020年2月に公開された映画『37 セカンズ』での経験や、笑福亭鶴瓶さんとの対話。

大東「過去の生き方に縛られている自分を捨てようと。そして、いまの状況を隠している自分が情けなくなってきました」

そして、新型コロナウィルスによる非常事態が、大きく背中を押しました。

大東「もう、自分の生き方や弱さを言い訳にはできない、これから家族として正しい形になろうと腹が決まりました」

個人的には応援しかない

すみません、ここからはSNS上でみられる多くの批判に対する、私個人の考えです。

ぱんだこの趣旨とは異なりますので、興味のない方はここでスルーしてください。

 

ネットではこの理解しがたい事実をうけて、批判の声が目立ちます。

「身勝手すぎ」「クソ男」「生い立ちを言い訳にしてる」

確かに、家庭を持つ気がないのに子どもを持ったことや、妻子がいながら別の女性と交際していたことは、一般的にはダメなことです。

けれども、普通の ”正しい・正しくない” の尺度では計れない問題を抱えてしまうのが、生育環境です。

親から与えられたトラウマは、一般の人が思う以上に、強烈で根深い。

中学生で親に捨てられ、生き延びるのも必死という強烈な体験は、その後に愛情をうけても、到底拭いされるものではありません。

愛情を欲しながらも、愛に対して希薄であり、愛するということが腑に落ちていない。これは一生付きまとうほどの、非常に深い問題です。

”なんでも境遇のせいにするな”という意見もあるでしょうが、本当に、親が子どもに与える影響って、とんでもなく大きいのです。

奥様はそういう大東駿介さんの心の傷を理解して受け入れているのだろうなと思いました。

失礼な推測ですが、奥様もまたそれを理解できるような環境で育ったのではないかと。

おそらくですが、大東駿介さんのような家庭環境では、普通の幸せな家庭に育った女性とは一緒に暮らせないと思います。

それこそ劣等感で押しつぶされるし、嫌悪感さえも感じるだろうし。

大東駿介さんの批判を目にするにつけ、なんだか中学生の彼の姿ばかりが浮かんでしまいます。

真っ暗闇の中で、うさぎのフンが散らばったベッドに寝転び、手のひらを天井に伸ばしながら「俳優になりたい」と思ったそうです。

演じることで自分の人生から抜けだし、誰かの人生を生きたいと願ったのでしょうか。

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