再ブレイクした俳優の 武田真治 さん。
2018年の紅白歌合戦に、真っ赤なレオタード姿で登場し、その筋肉とサックス演奏を披露した武田真治さん。
かつては「フェミ男」で一世を風靡したイケメン俳優が、再ブレイクするきっかけはなんだったのでしょう。
武田真治さんのデビューと挫折、そして再ブレイクまでをまとめました。
武田真治のプロフィール
- 本名:武田 真治 (たけだ しんじ)
- 生年月日: 1972年12月18日 (48歳)
- 出身地:北海道札幌市北区篠路
- 身長:165cm
- 血液型:AB型
- 兄弟:姉、妹
- 学歴:札幌市立篠路中学校→篠路西中学校、北海道札幌北陵高等学校→都立高校卒業
泣き虫だった子どもの頃
北海道札幌市、武田真治さんは3歳上の姉と2歳下の妹に挟まれた、3人きょうだいの長男として生まれました。
父親と、母親の5人家族。父は、STV (北海道テレビ放送) ラジオ局で音声スタッフとして働いていました。
小さい頃はとても泣き虫で、当時厳しかった父親には「男が泣くな!」と怒られていたそうです。
母親は片耳が不自由なため、人の話がよく聞こえなかったときは、理解するためにじっくりと耳を傾けるのだそう。
武田真治さんにとって、そんな風に人との距離をとる母の姿がとても魅力的でした。
トーク番組などでも武田真治さんは、人の顔を見て話をじっと聞くときありますよね。あれはお母さんの影響なのかもしれないですね。
高校や大学など学歴は?
武田真治さんが通っていたのは、札幌市立篠路中学校です。
中学2年生からは、新設された札幌市立篠路西中学校にうつり、卒業しています。
2016年には、創立30周年を迎えた母校の記念式典に登場し、教師や生徒、来場者など600人の前でパフォーマンスを披露。
現地までの交通費や出演料などは一切受け取らず、第1期卒業生として会場をわかせました。

誠実だし、男気あるよね。素敵。
中学校ではかなりモテていたようで、卒業式の日には制服のボタンどころか「ブレザーそのものもなくなった」らしいです。
中学を卒業すると、北海道札幌北陵高等学校に進学。少々やんちゃな高校時代だったようです。
芸能活動を始めたため、17歳で上京。都立高校に転入し、卒業しています。
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デビューのきっかけは?
高校2年生の時に「第2回ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」でグランプリを受賞し、芸能界入りします。
出場を勧めたのは母親でした。
サックス奏者になるための足がかりとして、芸能界入りを希望していた武田真治さん。
母親は「諦めて大学に進んで欲しい」という思いから、コンテスト出場を勧めたのですが、まさかまさかのグランプリでした。
その後、武田真治さんはあれよあれよと注目され、中性的な美貌を売りに「フェミ男」というジャンルを築き上げます。

細い体のラインが出るように”チビT”とか着てた。

高橋由美子さんと共演した『南くんの恋人』好きだったわぁ。
サックスはチェッカーズ好き 姉の影響
芸能界を目指すきっかけとなった「サックス奏者」の夢。
武田真治さんがサックスに出会ったのは小学生のときでした。
姉がチェッカーズの大ファンで、藤井尚之さんのサックスを吹く姿に憧れたのだそう。

ちなみにお姉さん、めっちゃ美人です。
若い頃から地元でも有名な美人だったそうですが、武田真治さんのインスタグラムに登場したお姉さんの姿に、なるほどと納得です。
これが2015年の投稿なので、当時お姉さんは46歳。

えっ!46歳!?これは美しすぎる!!
どんだけ美魔女。姉弟そろってこんだけ美形とか、地元では相当有名だったろうなぁ。
あ、話がそれました。サックスの話をしてたんだわ…
武田真治さんは親に頼みこみ、ようやくサックスを手にしたのは中学生になってから。
初めてのアルトサックスに夢中になり、酸欠で失神しそうになるぐらい練習していたのだとか。
高校の文化祭では、友だちと組んだバンドで舞台に立ち、ZIGGYの曲に自らサックスのアレンジを加えて演奏したのだそう。

ZIGGYにサックスって、それ盛り上がるやつ。
現在の自宅には「深夜でもサックスの練習ができるように」と、壁の厚さが30センチもある防音室を作ったのだとか。
防音室の設置にかかった費用は、推定3000万円!すごすぎるサックス愛!
顎関節症、絶望と引きこもりの日々
芸能界でトップクラスの人気を誇りながらも、武田真治さんの中で「サックス」というアイデンティティは非常に大きなものでした。
しかし25歳のときに顎関節症になり、医師から「もうサックスは吹けない」と宣告をうけてしまうのです。
「今なら、少し療養してまた練習しようと思えるけれど、当時はそんな風に思えなかった」
20代の武田真治さんは「サックスを失った自分にはもう芸能界で生きる術はない」と絶望のどん底に。
重度のうつ状態におちいり、自己啓発セミナーの勧誘に乗ってしまい、仕事も全てキャンセル。
仕事は『めちゃイケ』だけとなり、収録のないときは北海道の実家に引きこもり、部屋の中で震え、家族に当たり、そんな生活が長く続きました。
その日々を救ったのは、竹中直人さんが引き合わせてくれた忌野清志郎さんでした。
忌野清志郎さんに促され、1年以上ぶりにサックスを手にした武田真治さん。その後は、レコーディングやライブツアーに同行するようになります。
忌野清志郎さんと共に自転車で全国を周り「芸能界は世の中のごく一部で、これが自分の人生のすべてである必要がない」ということに気づきました。
2009年に忌野清志郎さんが亡くなって、はや11年。武田真治さんは恩人を語るとき、いつも涙を流しています。
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筋トレをはじめる
顎関節症をきっかけにはじめたことが「体を鍛えること」でした。
「当時は体力がなかったので、すべての負担が顎の関節にかかってしまっていました。強烈な偏頭痛に苦しみ、口を開けられないから食事も面倒になってくる。そうするとますます身体が痩せていくという悪循環」(引用:GOETHE)
医師から「人前に出る武田真治でいるためには、死ぬ気で体力をつけないとダメ」と言われます。
それまで運動経験がなかった武田真治さんは、それをきっかけに体を鍛えはじめました。
武田真治さんの体づくりに関しては別の記事にまとめます。
蜷川実花と筋肉体操
2018年に突如として「筋肉俳優」として再ブレイクした武田真治さん。
きっかけはなんだったのでしょうか。
蜷川実花「月刊MEN 武田真治」
それまで鍛え上げた体について「敢えて言うことでもない」と、特にアピールすることもしなかった武田真治さん。
しかし、2012年に蜷川実花さんが撮った『月刊MEN 武田真治』という写真集で、その筋肉美が多くの人の目に止まりました。
NHK『みんなで筋肉体操』
2018年3月、22年間続いていたバラエティ番組『めちゃ×2イケてるッ!』が放送終了。
武田真治さんにとっても大きな節目となった年の8月、NHK『みんなで筋肉体操』に出演します。
それがSNSを中心に爆発的に反響を呼び、一気にブレイク。2018年の年末には『紅白歌合戦』にも出場するほどのブームを巻き起こします。
この『みんなで筋肉体操』への起用のきっかけとなったのは、蜷川実花さんの写真集でした。
実は蜷川実花さんが、まだ写真家としてデビューする前に、初めて写真を撮った芸能人が武田真治だったそう。
同い年の2人は当時23歳。それから16年後に作り上げた写真集が、武田真治さんの再ブレイクのきっかけになるとは、強い縁を感じますね。
かつてフェミ男として一世を風靡したときは、天狗になり、家族が注意しても聞かないほど横柄な態度だったそう。

今の様子からはとても感じられない。
大きな挫折からさまざまな経験を通じて、人間力をつけていった武田真治さん。
これからも心身共にバルクアップし続けることでしょう。私も筋トレしよー。
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