高橋一生、母親とは絶縁状態。異父弟・安部勇磨が語った毒親育ちの過去

高橋一生さんが、どんどんかっこよくなってるよ。なんなんだ。

あのくしゃっとした笑顔たまらないよね。穏やかな声も、浮ついてない雰囲気も、たまに見せるかわいいところも。(温度たかすぎ)

でもさ、そんな高橋一生さんの生い立ちがかなり複雑でヘビー。

「3人の父親、異父兄弟が5人」という事実だけでもそれが伝わりますが、それに加え、長い間絶縁状態にあった母親に「毒親」要素がうかがえるんですよね…

父親が異なる、5人の兄弟

高橋一生さんは5人兄弟ですが、異父兄弟。父親が3人という複雑な家庭環境に育ちました。

  • 高橋さん自身の父
  • 次男・三男の父
  • 四男・五男の父

どういう別れ方だったのか、三男・安部勇磨さんはこう語っています。

うちは親父が3人いるんですね。長男の親父。次男と俺の親父。あと、四男と五男の親父ですね。でも、いちばん最初の親父以外はみんな死んじゃっていて。

(引用:CINRA.NET

高橋一生さんの実父だけが死別ではない、ということでしょうか。

だけど、高橋一生さん幼稚園生だったころに実父が亡くなっているという情報もあるんです。どっちなんだろう。

いずれにせよ、2番目・3番目の父親は亡くなっています。2015年夏には母親も他界しているので、高橋一生さんは30代半ばにして3度も親を見送ったということか。

母親が亡くなってからは弟たちの「親代わり」となり、見守っているようです。

弟・安部勇磨(ネバヤン)

少し触れましたが、ロックバンド『never young beach(ネバーヤングビーチ)』でボーカル&ギターをつとめる安部勇磨(あべゆうま)さんは、高橋一生さんの弟です。

あまり似てないね。

三男である安部勇磨さんは1990年9月生まれですから、1980年12月生まれの高橋一生さんとは10歳も年が離れています。

安部勇磨さんが音楽をはじめたのは、兄・高橋一生さんの影響だったようです。

お兄ちゃんがバンドをやってたこともあって、僕もやってみようとか思って、20歳や21歳で予備校を辞めたときに、音楽を始めました。

(引用:tunecore

高橋一生さんも中学時代にバンドをやっていたんですよね。ギターだと言ってたような。でもCMでみせる歌声も素敵だし、歌も歌ってたのかも。

何かにつけ、兄を慕っている様子が伺えます。

母親の毒親っぷりが壮絶

以前、安部勇磨さんがインタビューにて複雑な家庭事情を語っていましたが、それが本当に壮絶なんです。

って本人はいうけどさ、もう全然笑えないから。

生活レベルが下げられない

母親は高橋一生さんを18歳のという若さで生んでいます。

お金の遣い方がすごく荒いママで。3、4年くらいどっかで働いて、その蓄えで自営業を始めるんですけど、それがいつも半年くらいで潰れちゃうんですよね。その繰り返しだから、だいたいW杯くらいの周期でうちは貧困期を迎えるんですよ(笑)

(引用:tunecore

よく言えばバイタリティにあふれているというんでしょうか。ただネックになったのは、その金銭感覚です。

高橋一生さんは東京・赤坂の出身です。多分、当時はかなりお金持ちだったんだろうと思います。習い事もたくさんやって、児童劇団にも入ってたし。

その後、なぜか引越しを繰り返すんですが、事業に失敗してお金がなくなったときでも「世田谷から離れたくない」とずっと都心暮らし。

母親はお嬢様そだちだったこともあり、生活レベルが下げられなかったのでしょう。

子どもにお金の無心をさせる親

だけど、ないものはない。そんなとき、母は子どもたちにあることを命じるのです。

実の親父がいたって記憶はあんまりないんです。母とも別居していたから会う時もだいたい、母にお金を徴収しに生かされる時だったし。

(引用:twitter

子どもにさせることじゃないよね…。だけど、だけど、100歩ゆずって、父親はいいとしよう。

中学1年生の頃、仲のいい女の子がいて、俺はその子のことが好きだったんです。その子の家は超金持ちで、その子のお母さんもファンキーな人だったんですけど、俺のことをかわいがってくれて。でも、ある日、俺のママから「家賃が払えないからあの子の親から100万借りてこい」って言われて(笑)

(引用:tunecore

ひどい・・・

さすがにこれには安部勇磨さんも抵抗しましたが、すでに2人の兄たちもそういうことをさせられていて、自分だけ逃れることなんてできなかった。

Myriams-Fotos / Pixabay

安部勇磨さんは好きだった女の子の母に「100万円を貸して欲しい」とお願いするんですよ。本当かわいそう…

そうしたら、「私は勇磨が好きだから、勇磨に100万円貸すよ。あなたのお母さんに貸すんじゃない、勇磨に貸すんだ」って言ってくれて。

(引用:tunecore

だけど数年するとまた「借りてこい」って言われたんだって。高橋一生さんもそれをやらされてたんだよね。

色々あって、高橋一生さんは家を出るんですが、そうすると今度はその矛先が高橋一生さんに向きました。

安部佑磨さんは母親が亡くなってからの変化をこう語ります。

前までは一番上の兄貴に連絡していると母にお金の無心に行かされてたので、ようやく気兼ねなく兄弟全員で連絡を取るようになって。

(引用:twitter

なんて罪なことをしていたんだろう。辛すぎます。

子どもを否定する親

a-studioに出演したとき、母親について語った言葉に、あぁと思いました。

鶴瓶「小さいときに”あんた、たいした顔してないんだから近所のにいちゃんの役したらいいのよ”ってよく言われてたんやろ」

高橋「よく言われました。言われてました。”となりのあんちゃんを目指しなさい、あんたなんか”みたいな」

(引用:a-Studio)

「あんたなんか」・・・ね。

否定型の毒親の典型じゃないか、これ。お金とかそれだけじゃなくて、言葉の暴力をも受けてきたんだね。

絶縁状態にあった母の死

母はお金がなくなると、子どもたちの所有物を勝手に売ってしまうこともありました。

あるとき母は、高橋一生さんの車を勝手に売ってしまいました。高橋一生さんは怒って「縁を切る」といって家を出ていったそうです。

それから疎遠のまま10年がたったころ、安部佑磨さんから母親の病気の知らせを受けました。肺がんでした。

だけど、そんな状況ですら「顔を合わせると喧嘩になるから、もう少し弱ってから会いに行く」といい、すぐには足を運びませんでした。

久しぶりに会った母親はやせ細っていて、何度も「ごめんね、今まで」と謝りました。

その言葉を聞いて「もう大丈夫。弟はなんとかするからゆっくり休んで」と声をかけ、それから1週間後に母は亡くなりました。

はっきりいって、毒親育ちにとって「死」という究極の別れの場面ですら、親の謝罪を受け入れられるかといったら難しいこと。

高橋一生さんの「もう大丈夫」という言葉は、許したというよりもただ受け入れたということじゃないでしょうか。

それでも母親の謝罪で、「恨み」を残すことにはならなかったのかなとも思います。

弟たちの親代わりになる

末の弟とは年齢差が18歳。赤ちゃんの頃はおむつ換えをするなど、まるで若い父親のように世話をしていたそう。

母の死後は、その言葉通り、高橋一生さんは4人の弟たちの親代わりとなってよく面倒をみているようです。

三男・安部勇磨さんには「プロの世界で勝負しろ」とメジャーデビューをすすめ、料理人になりたいという末の弟には修行ができる寿司屋を紹介。

そして生活面も厳しく、しっかり家計簿などもつけさせているんだそう。

ある抑圧もかけないといけない。規律的なことをやってからの自由。そういうところをしっかり持っていてもらいたい。

(引用:a-studio)

なんか、考え方とかすごくしっかりしてるよね。

苦労してきたせいもあるけど、やっぱり元が頭のいい人なんだろうなぁと思う。素敵だわ、本当に。

願わくば、またドラマ『woman』のときみたいな高橋一生さまが見たいです。

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