4年間の芸能界休業ののち、昨年末に再びテレビに戻ってきた若槻千夏(わかつき ちなつ)さん。
以前は、おバカキャラタレントのうちの1人という認識で、その中でもガツガツしたタイプの若槻さんに不快感を感じる視聴者も多かったですよね。
ところが復帰後の若槻さん、一皮も二皮もむけてました!ハングリー精神はそのままですが、いい意味で肩の力が少し抜けたような。この4年間に何があったんだ!?
若槻千夏のプロフィール
本名:旧姓:栗原 千春(くりはら ちはる)
生年月日:1984年5月28日(31歳)
出身地:埼玉県比企郡吉見町
身長:160㎝
血液型:A型
兄弟:兄(5歳上)
学歴:吉見町立吉見中学校卒業、埼玉県立滑川高等学校→私立八洲学園高等学校卒業
本名が「千春」て、芸名が安易だわ。いや、でも春よりは夏のイメージよね。母親が、松山千春ファンだったので、千春と名付けられた千夏さん。
東武東上線の電車運転士をしていた父親、母と兄の4人家族に育ちました。
母親の育児放棄
明るくて元気な若槻さんですけど、その生い立ちはなかなか苦労人。小学校4年生の時に母親が「今日から家事をしない!」と、突然の家事放棄宣言。
そのために、一切の家事を若槻さんが担っていたそうです。掃除・洗濯・料理、お弁当も自分で作り、運動会には家族の分もお弁当を作ったとか。なんかすごい話。
若槻さんが芸能界で活躍するようになってからは、両親がお金の管理をしていたようですが、母親が使い込んでしまうので父親が管理するようになったんだとか。
お、お母さん・・・
でもそんな母親でも関係が悪いわけではないようです。若槻さんのはつらつさと行動力は母親譲りのようで、憎めない母親だったのかもしれません。大変そうだけどね。
芸能界にはいったきっかけ
芸能界に憧れる母の影響で、中学3年生のときにモーニング娘。のオーディションを受けるも落選。
しかしその後、17歳のときに渋谷109前でスカウトされ、すぐに芸能界デビューしました。真面目な父親が反対するも、母親と結託して父には内緒。
電車の中吊り広告で、娘の活動を知る父・・・せつないわ。そんな父もすぐに応援してくれるようになったんだとか。
早朝にビル清掃のアルバイト、昼間にグラビアの仕事と掛け持ちの日々でした。実家から都内までは、移動に2時間半ほどかかるので、漫画喫茶に泊まり込んだりして。
かわいさが売りだったグラビアアイドルでしたが、そのトーク力を買われてバラエティ番組への出演が増えていきました。
中山秀征さんや島田紳助さんなど、若槻さんの才能を評価した大物芸能人は数知れず。あのお笑いモンスター・明石家さんまさんもそのひとり。
『痛快!明石家電視台』のレギュラーに抜擢されるなど、バラエティ番組では欠かせないタレントになっていきました。
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病気?休業の理由は?
しかしそんな売れっ子タレントが2011年ごろから休業に入ります。なぜ?憶測が飛び交う中「若槻千夏の病気説」が浮上。「余命」なんて言葉も囁かれました。
今回の復帰で、この病気説は完全否定。休業の理由をこう話しました。
昔は「私はなんのために?」みたいなことをやたら考えていて。「今後何になっていくんだろう」「これを一生続けていくのだろうか」という疑問をふと考えてしまう年齢だったんですね。ハタチ弱で、すごく忙しかったので。
自分にとにかく自信がなくて。それで一回「自分に自信が持てるものを探そう」とちょっとお休みすることに
引用:モデルプレス
勉強熱心な若槻さんですから、どれだけ周りから評価されても「自分なんてまだまだ」と思ってしまったんでしょうね。
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旦那との結婚のなれそめは?
2012年1月に一般男性との結婚を発表。中田英寿さん似の無口な男性とのこと。
アパレル関係ではたらく夫とは、若槻さんが手がけていたブランド『W♥C(ダブルシー)』の仕事を通じて知り合いました。
夫は同じチームで仕事をしていたものの無口で声を聞いたこともないほど。そんな2人が距離を縮めたのは、友人の占いでした。
友人に仕事の悩みを相談すると、一緒に働いている人の生年月日を見せて欲しいと。すると「仕事の悩みどころじゃない、この中に結婚相手がいる!」とお達しが。
全く喋ったこともないその相手を、それから少しずつ意識するようになったそうです。そんなん言われたら意識するわね。
子どもは?
結婚の半年以上前にはプロポーズもうけていましたが、事務所から「ゆうこりんが結婚するからお前は結婚するな」とストップがかかっていたそうで。
そうこうしてるうちに妊娠し、晴れて結婚となりました。
結婚報告の時点で、すでに妊娠5ヶ月。2012年6月には第一子となる女の子も生まれました。若槻さん似でとってもかわいいそうです。
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クマタン人気で年収がすごい!
2009年に立ち上げたアパレルブランド「W♥C(ダブルシー)」のデザイナー兼プロデューサーを務め、成功を収めていましたが、2013年8月に退任。ブランドは残るものの、若槻さんとの関係は切れてしまうという不可解な事態になりました。
どうやら「タレント若槻千夏のブランド」というイメージから脱却して、アパレルブランドとしてやっていきたいという意向があったようです。
その後、若槻さんは『W♥C』を離れ、自身がデザインしたキャラクター「クマタン」のプロデュースに専念します。それが今や海外でも大人気となるほどで、若槻さんの実業家としての手腕に感心するばかりです。
特に台湾での人気は圧倒的で、キャラクターグッズが売れに売れていて、その年商は25億円にものぼります。あくまで「年商」ですがそこから推定すると、若槻さんの年収は約1億円ほどではないかと。
いや、すごいわ。
なぜ復帰?
「自信がない」と休業に入り、常に前に進んできた若槻さんは、4年ぶりに芸能界に復帰。
なぜこのタイミグで?ベッキーの座を狙ってる?なんて憶測も飛びましたが、若槻さんはブログでこう語っています。
「なぜこのタイミングでテレビに出るのかとかいろいろ思うかもしれないですが、私はただ単純に今は昔みたいに考えすぎず今の私のまま、ありのままでテレビに出れる気がしたからです」
確かに今は以前のようなガツガツ感みたいなものはなくなって、そのトーク力や頭の回転の良さみたいなものがよくわかります。
再ブレイクの兆しがすごい。完全復帰した若槻千夏をもっと見たいです!
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