2013年12月からはじまった実子騒動。長らく口を閉ざしていた喜多嶋舞(きたじま まい)さんがとうとう胸中を語りました。しかも引退表明まで!
2015年12月8日発売の『婦人公論』で語られた内容とは?
元夫・大沢樹生(おおさわ みきお)さんとはあまりにも食い違う証言に、もう何が本当なのかわかりませんが、ここまで違うってことはどちらかが嘘をついてるってことは間違いないんですよね・・・
喜多嶋舞のプロフィール
本名:喜多嶋 舞(きたじま まい)
生年月日:1972年8月11日(43歳)
出身地:神奈川県茅ヶ崎市
身長:164cm
血液型:AB型
兄弟:弟、妹
学歴:
喜多嶋さんってその見た目からハーフかなにかかなぁと思っていたのですが、ご両親はいずれも日本人です。
実は、両親ともに芸能界の方でして、いわゆる二世タレントってやつだったんですね。母親は女優・内藤洋子さん、父親は音楽バンド『ザ・ランチャーズ』のギタリストで、音楽プロデューサーの喜多嶋修(きたじま おさむ)氏。
え!内藤洋子って「ラブ・イズ・オーヴァー」の?って思いましたが、あれは内藤やす子さんでした。間違い間違い、ってこの情報いらないか。
こちらが若かりし頃の喜多嶋さんのご両親です。お母さんもめちゃくちゃかわいいですが、お父さんもイケメンですね!
どちらかというと、父親似でしょうか。
母親は結婚後まもなく芸能界を引退して、喜多嶋さんが2歳の頃、一家はアメリカに拠点をうつしました。
確か、デビュー当時の喜多嶋さんはその英語力にも注目されていて、”バイリンガル女優”としてドラマの中でも英語を披露してたような気がします。(うろ覚え)
大沢樹生とできちゃった結婚
1996年6月に元光GENJIの大沢樹生(おおさわ みきお)さんと結婚。
1988年のテレビドラマ『ワイルドで行こう!』での共演がきっかけで交際に発展したといいます。
くっついたり離れたりを繰り返していたようですが、出会いから8年後、喜多嶋さんの妊娠をきっかけに結婚となりました。いわゆるできちゃった婚ですね。
そして結婚から6ヶ月後には、男の子が誕生しました。
実子騒動って?
2005年、子供が8歳のときにふたりは「性格の不一致」を理由に離婚。
親権は喜多嶋さんに渡り、息子との生活をはじめましたが、その後、親権は大沢さんにうつり息子さんも父親の元へ。シングルファーザーとなった大沢さんと思春期の息子さんの愛情あふれる生活が番組で取り上げられたりしました。
ところが、離婚から8年経った2013年2月、衝撃的なニュースがワイドショーを席巻しました。なんと、DNA型鑑定により大沢樹生と息子との父子確率は0%であると判明したのです。
涙ながらに取材に答える大沢さんの様子が、連日取り上げられました。
喜多嶋さんが「長男の父親は大沢さんです」と週刊誌に語っても、世間では喜多嶋さんを批判する声が多く聞かれました。しかし、驚くことに当事者である息子さんも「99.9%ボクはパパの子」と週刊誌の取材に答えるという事態に発展。
どっちの主張が正しいの?誰が嘘をついてるの?と様々なことが報道され、裁判にまで発展していきましたが、2015年11月に東京家庭裁判所で「親子関係はない」との判決が下されました。
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喜多嶋舞が婦人公論に語った内容は?
あくまで、2015年12月8日発売の『婦人公論』にて喜多嶋さんが語った内容です。大沢さんの証言との矛盾もあり、何が真実かというのは判断しかねます。
離婚は大沢の性格が原因
恋多き女と言われる喜多嶋舞さん。父親が違うという今回の騒動では、喜多嶋さんの貞操観念に批判が集まっていました。そこを否定するためでしょうか、
大沢さんは私がはじめてお付き合いをした人です。
と、一途な恋愛の末の結婚であったことを告白しています。そして、この言い分こそが喜多嶋さんが「息子の父親は大沢さんです!」と断言する材料なんでしょうね。
うーん。『初めて付き合った=大沢さん以外とは関係がなかった』ということにはならないので、ちと弱いですね。
「大沢さんとの生活はハラハラとビクビクの連続となってしまいました。というのも、大沢さんはしょっしゅう、何の前ぶれもなく急に怒り出す人だったからです」
「彼の突然の怒りにおびえる生活は、心身へのダメージがとても大きいものでした」
その生活に耐えかねての離婚であったと語っています。
なぜ息子の親権を大沢に?
聴覚に障害を抱えていた息子さんは、普通のお子さんよりは育てにくい子供であったと言います。普通学校ではない施設に通わせながら、息子さんを養育していました。
あることをきっかけに、大沢さんが家庭裁判所に親権変更の申し立てを行います。
「私に電話をかけてきて「父親なのに、親権がないからなんにもできないのはおかしい」と怒鳴り散らし、親権を自分に変更するようにと迫ったのです。」
「繰り返し電話をかけてきては「親権をよこせ」と罵声を浴びせられる日々に、私自身がすっかり参ってしまいました」
やはりここでも、大沢さんの激昂型の性格が影響していたと喜多嶋さんは語っています。
2007年4月に親権は大沢さんにうつり、息子さんの身も父親の元へ。それから3ヶ月後の7月に喜多嶋さんは再婚します。
その翌年には大沢さんも再婚し、大沢さんと息子さん、そしてその再婚相手の3人の生活がはじまりました。
親権が祖母になった理由は?
それから6年後の2013年9月、大沢さんの申し立てにより息子さんの親権が喜多嶋さんにうつされました。間もなく「DNA鑑定騒動」に・・・
大沢さんが鑑定結果を手にしたのは騒動となるしばらく前でしょうから、それが親権の変更につながったと考えられますね。
しかし、息子さんの親権はなぜか喜多嶋さんの母である洋子さんにうつされるのです。マスコミでは「喜多嶋舞が親権拒否!」とも伝えられていましたが。
「アメリカの永住権を持つ両親に親権を移せば、息子も永住権を得ることができます。アメリカで、彼が本当にやりたいことをできる人生を取り戻せる。そう考えて息子を送り出すことにしました」
息子さんの将来を思えば、親に親権をたくすことが最善であると。なるほど。
これまで実子騒動に反論しなかったのは?
ここまで喜多嶋さんが胸の内を語ったのは騒動後、はじめてのことです。なぜ今まで沈黙を守っていたのか、なぜ再鑑定しないのか?
「私がDNAの再鑑定をして真実を明らかにしなかったのは、普通の子より傷つきやすく現実への対応が難しい息子を、もう一度メディアの前に引っ張りだすのが耐えられなかったから」
と、息子さんを思いやったうえで「息子の父親は大沢さんに間違いありません」と断言しています。
また騒動が大きくなることで、大沢さんの仕事に影響が出て、経済状況が困窮しては困るということも理由としてあげています。
というのも、婚姻関係にあった当時、喜多嶋さんは大沢さんの借金の連帯保証人になっており、その離脱手続きがなされていないため、大沢さんの収入が途絶えると自分まで大変なことになると。
引退を表明
最後に、息子さんのために大好きな女優のお仕事をやめて、芸能界から退くこと、つまり引退を表明しました。
ここ10年近くは目立った活動もなく「引退」といっても急にいなくなった感じはしないでしょうが、この騒動がおさまらない限りは静かな生活というのはなかなか難しいのかもしれませんね。
それにしても、両者の言い分が食い違いすぎてもうなんのこっちゃ分かりません。
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