インストゥルメンタルバンド『SAKEROCK』のリーダーとして音楽活動をする傍ら、ドラマや映画、舞台など俳優としても活躍し、また文筆家としての顔を持つ星野源(ほしの げん)さん。
今はやりの“クールな塩顔イケメン”ですね。
穏やかな雰囲気を持つそんな星野さんですが、過去にはパニック障害やくも膜下出血を発症し、生死をさまよう程の壮絶な闘病生活があったとは知りませんでした。
星野源のプロフィール
本名:星野 源(ほしの げん)
生年月日:1981年1月28日(34歳)
出身地:埼玉県蕨市
身長:168㎝
血液型:AB型
兄弟:ひとりっ子
学歴:自由の森学園中学校・高等学校卒業
埼玉県蕨(わらび)市生まれ、両親との3人家族で育ちました。祖父から受け継いだ八百屋を営んでいた両親でしたが、大の音楽好きで、父親はジャズピアノ、母親はジャズシンガーを目指していたという過去があるそうです。
お母さんはとてもユニークで、星野さんは「お母さん」ではなく「ようこちゃん」と呼びなさいと言われていたんだとか。
友人たちにおいては「“美人のようこちゃん”と呼びなさい」と。ほとんど誰も呼ばなかったらしいですが(笑)
また、幼い星野さんが父親に高い高いをされている写真を指し、「これはお空から降ってきた源をキャッチしたところよ」という説明をされ「だから源は星の王子さまなのよ」と伝えられたんだとか。父親も「そうだよ」と加担。
それをずっと信じていた星野源(笑)
ようこちゃん自身は『たけやさおだけ星の王女』なんだそうですよ。
子供時代のイジメと暗い性格
そんな母親に育てられた星野さんですから、さぞのびのびと穏やかに育ったことだろうと思いましたが、子供時代はとても暗かったんだとか。
小学校という集団生活に馴染めず、母は学校に行くたびにくらい顔になっていく息子に気づいていたそうです。
そんな星野さんに小学校3年生のときに更なる不幸が訪れます。
体育でのマラソン中に突然襲った腹痛。担任に告げ、トイレに向かおうと校舎に向かった星野さん。疲れ果てて下駄箱まで辿り着いたときに・・・間に合いませんでした。下痢でした。
パニック状態の中で、白い体操服のズボンの隙間から流れ出たそれを処理しようとトイレに向かいましたが、授業を終えた同級生たちが次々と戻ってきて、事態に気づきはやし立ててくるのです。
担任教師は星野さんの体の汚れを洗い流そうとホースを持ち、「恥ずかしがらなくていいのよ」と言いながら、みんなの前でパンツを脱ぐよう指示。
小学校3年生にとっては、堪え難い出来事です・・・
そして、ついたあだ名は「うんこ」。本当に子供って残酷。
イジメでパニック障害に
それが引き金となって、その後、同級生からのイジメを受けるようになりました。元々暗かった星野さんからは笑顔が完全に消え去り、感情表現すらもできないような状態に。
そして、とうとうパニック障害になってしまったのです。突然の不安感に襲われ、激しい動悸や息切れ、震えやめまいなどの“パニック発作”を引き起こし、精神安定剤を服用するほどでした。
また「トイレ」に対する不安から、通学路の途中のスーパーで用をたしてからでないと学校に行き着くことが出来なかったと言います。
そんな息子を心配した両親は「このまま公立中学に進めば、もっと大変なことになるかもしれない」と判断し、自由な校風が特徴的だった私立の自由の森学園中学校へと進みました。
自宅から片道2時間かかり、偏差値も45ほどですが、このときのご両親にとっては、学力よりもまず「息子が過ごしやすい場所に環境を変える」ということが最優先だったのでしょう。
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音楽や芝居との出会い
そんなご両親の想いが背中を押したのか、星野さんも中学に入ると「無理矢理にでも笑ってやろう」と意識的に笑顔を作る努力を始めました。そうやっているうちにだんだんと自然に笑えるようになったのだとか。
あの素敵な笑顔は、星野さんが乗り越えてきたものだったんだなと思うと、なんとも言えない気持ちになりますね。
中学1年生のとき、周りの影響もあってギターを始めました。同時に、友人に誘われて学校の演劇サークルにも所属。次第に心の穏やかさを取り戻していったように見えますが、やはりこのときもパニック障害と戦っていたそうです。
ただお芝居の役を通して「自分以外の誰か」になることで、どこか自分の心を開放できていたのかもしれませんね。
劇団大人計画所属?
驚いたんですが、星野さんって劇団『大人計画』所属なんですね!
大人計画といえば、松尾スズキさんを座長に、阿部サダヲさん、荒川良々さん、三宅弘城さんなど超個性派俳優ばかりです。こんな路線の方もいたとは。
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高校時代に「大人計画」の舞台を観た星野さん。暗い闇と笑いと感動が入り交じったその芝居に、それまで押さえ込んでいた自分のドロドロした部分を吐き出し、吹っ切れるような感覚を得たと言います。
高校卒業後は大学へは進まずに、オーディションを受けながら色々な劇団の舞台に立っていた星野さんでしたが、23歳のときにあの大人計画の舞台「ニンゲン御破産」への出演の機会を得たのです。
そのとき、勇気を振り絞って松尾さんに「劇団計画に入れてください!」と直談判すると、松尾さんが「いいよ」と即答!え、入団オーディションとか受けなくていいんですか?みんな受けてるはずですが・・・
後にも先にも直談判で、大人計画に入れたのは星野さんだけだったんだとか。松尾さんには何かが見えていたんですね。
くも膜下出血の発症で闘病生活
同じ高校出身のメンバーを集めて結成したインストゥルメンタルバンド『SAKEROCK(サケロック)』での音楽活動と、劇団大人計画での役者としての活動。楽しいながらも多忙を極める日々を送っていました。
そして2012年12月。レコーディングを終えた直後に、急に目の前の景色がぐにゃりと曲がり、直後にバッドで頭を殴られたような激痛が襲いました。
救急車で病院に搬送され、診断の結果は『くも膜下出血』。
くも膜下出血というと、高齢者に多く、死に至ったり命をとりとめても後遺症が残るといったイメージがあるかと思いますが、若い人も発症するのです。私の30代前半の知人でもいました。
ちなみに星野さんは31歳での発症でした。幸いにも、命に別状はなく後遺症も残らなかったとのことですが、搬送直後、医師は周囲の人間に「後遺症の可能性も含め、全快の可能性は低い」と告げました。
かなり危険な状態だったということが分かります。
すぐに緊急手術が行われましたが、術後も頭の痛みは続きました。刺激を与えないため動くことは許されず、食事も飲み物もとることができない。激痛で眠ることも出来ず、周囲の小さな音までもが気になるほど神経が過敏になっていたといいます。
3日間そんな状態が続いた星野さんは、痛みから開放されたいがため「早く死んでしまいたい」と病室の窓から飛び降りることまで考えていたそうです。
そんな状態からなんと奇跡の回復力で、2ヶ月後には復帰していたというので驚きですね!
しかし2013年6月、定期検診により再発のおそれがあるとのことで、入院し再手術となりました。再入院というのは本当にショックだったろうと思いますが、9月には「完治」を宣言され無事退院することができました。
aikoとの結婚は?
そんな過酷な闘病生活を支えてくれたのが、2011年に熱愛が発覚した歌手のaikoさんです。
うわぁ、この2人すっごくお似合いだわ♪
aikoさんといえば、TOKIOの国分太一さんとの交際が有名でしたが、多忙によるすれ違いから2006年に破局。なんとその交際期間は8年にも及んでいました。
破局と聞いたときはショックだったけど、それから2011年にaikoさんに新たな恋の噂が。そのお相手が星野さんだったのです。
2人の出会いはある音楽イベント。友人が参加するため顔を出したaikoさんと、出演者として来ていた星野さんが出会いました。すぐに意気投合した2人は、間もなく交際をスタート。
星野さんがくも膜下出血で再入院した直後の2012年には破局の噂もありましたが、まだお付き合いが続いている可能性は高そうです。そろそろ結婚ということもあるかもしれませんね。
2015年10月からは綾野剛さん主演のドラマ『コウノドリ』で、綾野さんのライバル医師・四宮春樹として登場する星野さん。ドラマのほうも楽しみです。
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