2004年に高岡早紀(たかおかさき)さんと離婚した保阪尚希(ほさかなおき)さん。
あれ?保阪尚希?保阪尚輝?いつの間にやら改名していたんですね。今の「尚希」は本名だそうです。
実は、この名前をつけてくれたご両親は、保阪さんが幼い頃に亡くなっており、これまで波瀾万丈の人生を歩んできたようです。そんな保阪さんについて調べてみました。
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保阪尚希のプロフィール
本名:保阪 尚希(ほさか なおき)
生年月日:1967年12月11日(47歳)
出身地:静岡県静岡市葵区
身長:180cm
血液型:A型
兄弟:妹
学歴:明治大学付属中野高等学校定時制卒業
保阪さんを初めて見たのは、杉浦幸さん主演の大映ドラマ『このこ誰の子?』。懐かしい。杉浦さんと岡本健一さんは親公認の高校生カップルで、そこに現れた朝比奈拓也(あさひな たくや)が保阪さん。
暗くて影のある拓也が、杉浦さんを無理やり・・・で杉浦さんが拓也の子供を身ごもるという。当時小学生の私には衝撃的なドラマでしたね。
で、斉藤由貴さん主演の『はいすくーる落書き』での不良役。あぁ懐かしい。
的場浩司さんとか萩原聖人さんとか。的場浩司はリアルヤンキーじゃないかって話。
どっちのドラマも今の時代に再放送とか絶対無理ですよね。高校生の喫煙シーンとか普通にありましたし。面白かったんだけどなぁ。
って若い人、全然食いついてない?あら。
そうそう、保阪さんはどっちかっていうと、ヤンキーとか影のある役とかそういったのが多かった気がします。
幼いころ両親が自殺
そういった役柄がハマったのは、保阪さん自身が辛い過去を抱えていたからかもしれません。
小学校1年生のある日、保阪さんが祖母と眠りについたあと、両親が自ら命を絶ちました。26、27歳という若さでした。「普通に生活していた」そんな日常が奪われた瞬間でした。
それ以来、祖母と妹の3人での暮らしが始まりました。家計を助けるために中学生のころからアルバイトもしていたそうです。
子供のころは両親のことでイジメを受けることもあったと言います。子供は残酷ですね…
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松雪泰子との交際
1992年の映画『パテオ』の共演で松雪泰子(まつゆきやすこ)さんとの交際がスタート。日本の芸能界には珍しくオープンな交際で、時代が時代なだけにあそこまで公に認められたカップルっていなかったように思います。
交際発覚後も、ドラマ『毎度ゴメンなさぁい』やCM、雑誌で共演。堂々としていたのがとてもかっこよかったなぁ。
知らなかったんですが、交際がスタートした時、保阪さんは結婚していたんですね!
元タレントで銀座のホステスの女性と結婚していましたが、保阪さんの暴力や、松雪さんとの不倫により離婚したんだとか。略奪愛だったのか。
松雪さんとはかなり長くお付き合いしていた印象でしたが、交際が始まったのは1992年で、1996年には高岡さんと結婚しているので長くても4年。結婚すると思っていたのでがっかりした記憶が今よみがえりました。
高岡早紀との結婚と離婚
1996年に高岡早紀さんと結婚します。ドラマ『ひと夏のプロポーズ』での共演がきっかけで交際4ヶ月でのスピード婚でした。
2人の息子さんにも恵まれて結婚生活も順調に思われましたが、2004年に高岡さんと布袋寅泰さんとの不倫が発覚し離婚。
週刊誌で2人の不倫がスクープされたとき、海外にいた保阪さんに高岡さんから電話が。「尚ちゃん、今から帰りの飛行機を変えられない?空港と家が大変なことになってるの」と。いやいや、あなたのせいでしょ。
ってか「なおちゃん」って呼んでたのか。
高岡さんは結婚しても母になっても“女性”であり続け、ふいに「親権はあげるから離婚して」と言い寄ったりすることもあり、いつか離婚はやむを得ないと覚悟はしていたそうです。
ただ2人の幼い息子たちのことだけが気にかかる。親権は保阪さんが持つことになりましたが、子供たちには母親が必要だろう。自身が7歳で両親を亡くしていることから、せめて息子が7歳になるまでそばにいたい。
そう考えた保阪さんは離婚届を提出したあとも半年間は同居を続けました。
出家した理由は?
離婚から3年が経った2007年4月、突然「出家する」という話題でまた物議をかもしていましたが、どうやらこれは幼い頃に亡くなった両親への想いがあったようです。
毎月、月命日になると静岡の両親の墓を訪れ手をあわせていた保阪さんでしたが、この年はご両親の33回忌でした。自ら命を絶つという行為は、仏教的には非常に悪いこと。でも33回忌が過ぎればどんな魂も天に召されるという教えがあるそうです。
「ふつうなら親に大学まで面倒みてもらって、初任給で親父にネクタイ、おふくろに洋服とか買ったりするけど、僕は親に何もしてあげたことがなかったな。両親は自殺したけど、残された僕は生きている。生かされていることに感謝するべきじゃないか、って。天界に登ろうとする両親との最後の接点として、プレゼントとして、あれこれ悩んだ末に僕が選んだのが、出家だったんです」
普通なら両親に恨みつらみがあってもおかしくないのに「親に何もしてあげられなかった」と考えるのはなかなか出来ることではないですよね。
芸能活動を続けながら、東京とお寺のある熊本県を行き来する生活を1年間続け、両親の供養が終わると僧侶としての活動も終えたそうです。本当にご両親への想いからの行動だったんですね。
副業で大成功
あまりドラマでも見かけることはなくなりましたが、現在は調理器具のプロデュースなどをしてかなり成功しているようです!
なぜに調理器具?と思いましたが、中学生のころのイタリアンレストランでのアルバイトから始まり、いくつも飲食店を経験し料理の腕前はプロ並みだそうです。
7年間の結婚生活でも高岡さんがキッチンに立ったのは2回ぐらいで、料理も子供たちのお弁当などすべて保阪さんが引き受けていたといいます。
そんな自身の経験を生かして調理器具をプロでデュースしたところバカ売れ!!通販番組で紹介したところ、1日に1億5千万円以上を売り上げたそうです!
現在も1日1億円を売り上げているそうで、いやもうこれは大大大成功ですね!
様々な経験を重ねながら、あくまでも「自分の人生」を全うしようとしている保阪尚希さん。人生を達観しているような口ぶりから誤解されることも多いでしょうが、強い意志と信念でどういった世界に身をおいても成功しそうですね。
もう少し柔らかくなって、幸せをつかんで欲しい気もしますがね。
コメント
保坂尚樹の初めの妻、多分知ってる❗