「ママとパパが生きる理由」原作のブログ。夫婦で余命宣告を受けた実話(2)

ドラマ「ママとパパが生きる理由」の原案となったブログは、夫婦で癌告知を受けた芽生(めい)さんの闘病記録が綴られています。

0歳と5歳の子どもをもつ30代の夫婦が、時を同じくして癌告知を受け、余命宣告される。その壮絶な環境の中で、強く生きようとする姿がありました。

娘たちへの想い

芽生さんの胸にできたしこりは、発見されたときにはすでに6cmを超える大きさになっていました。この大きさになるには7~10年かかるそうです。

早期発見していれば、治療が上手くいく可能性は高かっただろうけれど、娘さんたちを生むことは出来なかったかもしれない。

例えステージⅣだと言われても、やっぱり2人の娘に会えてよかったと。

発覚したのが今でよかったと。

そう思っています。

(引用:『私、乳がん。夫、肺がん。30代で同時にがん宣告を受けた夫婦の闘病記』)

「2人は私の宝物です」と芽生さんは言います。

病気を克服して、娘たちに「最後まで諦めずに立ち向かえばどんなことも可能になる」ことを伝えたいと芽生さんは闘いました。

20141115-102

芽生さんは、もうすぐ6歳になる長女の心をずっと気にしていました。

「できるだけ不安感を与えずにいつも通りの生活を送らせてあげるためにはどうしたらいいか」そんなことばかりを考えていたと言います。

そんな芽生さんでしたが「1度だけ声をあげて泣いた日」のことをブログに綴っていましたが、ブログ閉鎖でこちらも見れなくなってしまいました。

この日のブログはそれまで張り詰めていた芽生さんの苦しみや悲しみが、まるでダムが決壊したかのように激しくあふれ出て涙が止まりませんでした。

母親の支え

夫は入院、自身も病と闘い、治療による副作用と闘っている芽生さん。

まだ生まれて間もない次女の夜泣きで起こされる日もあれば、長女の風邪や喘息でゆっくりと眠れない日もあります。

また、免疫力が低下している芽生さんに娘さんの風邪がうつると、そこから回復するには長い時間を要することになりました。

そんな生活を支えてくれたのは、実母をはじめとする周りの協力でした。

そんな状況なら当然だと思うのですが、芽生さんはこういった周囲の助けに対し、常に罪悪感を抱えることになるのです。

結婚記念日は、母親のはからいによって子どもたちを母に預け、久しぶりに夫婦で外出しました。その日はランチやショッピングを楽しみました。

楽しいはずのその1日でしたが、そこでも罪悪感が彼女をおそうのです。

帰宅した芽生さんが、子どもを見てもらった感謝を母親に伝えているうちに、それは謝罪に変わりました。

家事も娘のこともお母さんの手を借りて、全然やるべき事ができて
いないのに、遊びに行っちゃってごめんなさい。

(引用:『私、乳がん。夫、肺がん。30代で同時にがん宣告を受けた夫婦の闘病記』)

人に頼らないと何もできない自分が、楽しいことを求めてはいけないんじゃないか、そう思っていたそうです。

ポロポロと泣き出す芽生さんを、お母さんは泣きながら抱きしめました。

そんな事言わなくていい。言わなくていいんだよ。
少しでもあんたの助けになりたいと思っているんだから、そんな事気に
しなくていいんだよ。こんな時なんだから、甘えていいんだよ。

(引用:『私、乳がん。夫、肺がん。30代で同時にがん宣告を受けた夫婦の闘病記』)

芽生さんが2人の幼い娘さんを想うように、お母さんもまた芽生さんを想っているのです。病に冒された娘を想う母親の気持ちが胸に刺さり、涙がでました。

突然の余命宣告

抗がん剤の効果は人によって様々です。

幸い、けんさんに投与された抗がん剤は、けんさんに合ったようで順調に腫瘍が小さくなっていきました。

入院から1ヶ月後には、首にあった腫瘍は消滅し、原発巣の腫瘍もほとんどなくなっているほど効果が絶大でした。

3ヶ月後には月に1度抗がん剤治療をする以外は、仕事も出来るほどに回復しました。

一方で芽生さんのほうは薬の効き目があまりみられず、薬剤を変更しても効果は一瞬で、すぐに効かなくなる。

癌の進行も早く2013年2月、医師から突然の余命宣告を受けました。

「薬の効果がなければ半年。効果があっても最大2年」

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あまりに突然の宣告に激しく動揺するも、闘いを諦めていない芽生さんは、その後の医療機関での『緩和ケア』などの対応に疑問を呈しています。

私は私の命を諦めていないのに、勝手に人の命を諦めないでほしい。
もうすぐ命の灯が尽きる人、という目で見ないでほしい。

本当は私の命がこの先も強く続いていく様を頭に思い描いてほしい。
けれど、それが無理なら、せめて私の命が終わりに向かっていく様を
頭に思い描きながら私と接するのをやめてほしい。

たくさんの人が「私が元気になって活動的に生きている様」を
想像して私を見てくれたなら、回復への強力な力になってくれると信じている。

(引用:『私、乳がん。夫、肺がん。30代で同時にがん宣告を受けた夫婦の闘病記』)

最後のブログ

余命宣告をうけた翌月、家族での京都旅行を計画します。

しかし芽生さんは、旅行の数日前から体調をくずしてしまいます。体調の悪さは直前まで続きましたが、当日にはなんとか回復し旅行を楽しみました。

旅行を終えると再び体調を崩します。そして入院。ここでしばらくブログの更新は途絶えました。

2013年5月に再びブログが更新され、まだ入院中だという芽生さんでしたが、ブログ更新のためにiPadminiを買ってもらったと嬉しそうに報告していました。

「続きはまた、後日に」そう締めた後、芽生さんがブログを更新することはありませんでした。

芽生さん永眠

芽生さんがの更新が途絶えて1年半がたち、久しぶりに更新したのは夫・けんさんでした。芽生さん永眠の知らせでした。

芽生は、乳がんと告知されてから、
生きる為、治す為、娘達の為に良かれと思うことは、とにかく試し、
1日1日を必死で生きてきました。
ですが、病気の進行は、想像以上に早く厳しいもので、
長女と僕の手を握ったまま、
2013年初夏、とても優しい顔で眠るように亡くなりました。

(引用:『私、乳がん。夫、肺がん。30代で同時にがん宣告を受けた夫婦の闘病記』)

生前、芽生さんは「夫婦2人で癌を克服して、その物語をたくさんの癌闘病中の人たちに知ってもらいたい」と夢を語っていました。

その夢を叶えるべく、縁あって本を刊行する運びとなっていましたが、楽しみにしていた芽生さんが完成した本を見ることは叶いませんでした。

ドラマ『ママとパパが生きる理由』は、この本を原案にして作られたものです。ドラマ用にデフォルメされているとは思いますが、芽生さんご家族に触れられるものです。

けんさんは現在も、仕事をしながら子育てをしているそうですが、根治には至っていないとのこと。

けんさん自身とても大変な生活を送っていらっしゃると思いますが、お子さんたちの健やかな成長を芽生さんが見守っていてくれるはずです。

(2014.12.3追記)けんさん逝去

12/2に芽生さんのご両親がブログを更新され、けんさんがお亡くなりになったことを報告されました。本当に本当に残念です。

直前に二人の子供それぞれの手を握り、「愛してるよ」の言葉を残し、安心したのか最後はお母さんに見守られ眠るように……。

(引用:『私、乳がん。夫、肺がん。30代で同時にがん宣告を受けた夫婦の闘病記』)

ブログは12/5日を持って閉鎖されるそうです。心から哀悼の意を表します。

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