アンミカを後押しした在日韓国人の亡き両親。極貧の過去を経てセレブ結婚!

      2016/05/02    エンタメ, タレント

ヒルナンデスの火曜日のコーナー『激安コーデバトル』で抜群のセンスを見せるモデルのアンミカさん。ファッションもさることながら、彼女の人柄にもいつも惚れ惚れしております。

幼少期の壮絶貧乏や、現在のセレブ生活などは有名ですが、モデルになった経緯はどのようなものだったんでしょうね。

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アンミカのプロフィール

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本名:ミカ・アン・ミラー(旧姓名:安 美佳(あん みか))
生年月日:1972年3月25日(42歳)
出身地:神奈川県川崎市
兄弟:兄・姉・弟・妹(5人兄弟の次女)
身長:174cm
血液型:型
出身校:トキワ松学園高等学校、日本大学通信教育部商学部卒業

韓国・済州島(チェジュとう)で韓国人の両親の元に生まれたアンミカさんは、3歳のときに家族で日本に渡り、いわゆる「在日韓国人2世」となりました。

日本最大のコリア・タウンとして知られる大阪市生野(いくの)区での生活その暮らしぶりについて、たびたびアンミカさんがその“壮絶貧乏話”を語っています。

幼少期の貧乏生活

長屋の2階を間借りして、4畳の部屋に家族7人(両親、兄弟5人)で暮らしていた。1階には別の家族が住んでいるため、共用の玄関を入ると、他人の団らんの間を通り、「自宅」である2階の部屋に行くという生活。

もちろんおやつという「余分なもの」は存在せず、その代わり、夜中の3時に小さなリュックを背負い、徒歩で3駅先の青果市場へ。そんでもらえる売れ残りのフルーツがおやつだったそうです。

なかなかもらえないスイカが手に入ったときは、種をとっておいて、それを舐めスイカの味を堪能していたんだとか(゚Д゚;)

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アンミカさんも小学校から高校までの7年間は、毎朝新聞配達のアルバイトをして家計を助けるなどかなりの極貧ぶりが伺えます。また実家が2度も火事に遭うなどの不運にも見舞われます。

しかし現在はそんな過去とは対称的に、2012年7月に制作会社社長セオドール・ミラー氏と結婚し、セレブの仲間入り。人生とは分からないものです。

コンプレックスだらけの少女時代

3歳のとき、工場の階段から転落し、口の中を大きく切るという怪我をしたアンミカさん。手術の後遺症で「笑うと上唇がめくれてしまう」という癖が残ったそうです。

それに加え、背も低く太っていたため、幼稚園の友達からの容赦ない指摘が。子供って見たまんまをいうので、仕方ないんですがね。アンミカさんは人の目を真っ直ぐに見ることも、上手に笑顔を見せることもできなかったそうです。

そんな娘を見かねた母は、日本語を猛勉強し、資生堂の美容部員として働き始めました。仕事を通して学んだ「美」を一生懸命教えてくれたそうです。

上手に出来ると「ミカちゃん、きれいに笑えた。大きくなったらモデルさんになれるわ」と褒めてくれた言葉が、アンミカさんにモデルになるきっかけを与えてくれました。

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死に行く母のためにモデルへ

そんな母は30代の頃から体調を崩すようになり、アンミカさんが小学校高学年のときにはガンに。中学に入る頃には寝たきりの状態でした。そんな母を見て「なんとしてもお母さんが生きている間にモデルになろう」と決意したアンミカさんは動き出しました。

すぐに大阪のモデル事務所20社ほどに履歴書を送るもすべて返却。しかし諦めないアンミカさんは、ある大手の事務所に何度も履歴書を送り、返却されること5回。意を決し電話で直談判しました。

「私、写真写りが悪いので、実物を見たほうが得だと思います」

「そんなに言うんだったら来てください」と言われ行ってみたものの「実物もちょっと」と落とされたそうです。

帰り際、社交辞令で「近くに来たら遊びに来ていいよ」と社長が優しく声をかけてくれました。しかしアンミカさんにとってその言葉はGOのサインとばかりに、それから毎週、自転車で8駅先のモデル事務所に通いました。

根負けした事務所がレッスンを受けさせてくれて、それから1年ほどでモデルとしての初仕事も叶いました。しかし、モデルとしての仕事が続くわけでもなく、15歳の頃には最愛の母も亡くなりました。

父の手紙に背中を押され

高校を卒業後、一念発起し単身パリへ渡るも撃沈。帰国後、アルバイトをしながら生活していました。ある日「服飾専門学校の学生がするファッションショー」を見に行こうと誘いが。往復3000円の交通費が惜しく、気も乗らないアンミカさんに父から手紙が届きました。

日本語の不慣れな父が書いた日本語の手紙「チャンスは前から来ない。後から来るよ。だから努力し続けてアンテナを張ってたら絶対キャッチ出来るから、頑張りなさい」その手紙に触発され、出かけたファッションショーで、運命の出会いがありました。

たまたま来日していたドイツ人カメラマン、ロバート・ショーナーに「翌日の撮影にモデルとして出てくれないか」声をかけられました。京都での撮影。そのときの写真がヨーロッパで話題となり、彼は現在、世界でベスト10に入る有名カメラマンとなっているそうです。

アンミカさんにもパリコレ出演の依頼が舞い込み、いきなりのパリコレデビュー。モデルとしての活躍が始まりました。

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お父さんの手紙がなかったら行っていなかったというアンミカさん、両親の言葉に後押しされて今があるんですね。その父親は2001年に帰らぬ人となりました。

壮絶な貧乏の過去や両親との別れがあったとはとうてい思えない素敵な笑顔のアンミカさんです。環境ではない、心が人を美しくするんだなと思いますね。

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