太田光代がツイッターに綴る苦労の生い立ち!結婚とタイタン設立のきっかけは?

      2016/04/14    エンタメ, タレント

『爆笑問題』太田光さんの妻であり、芸能事務所『タイタン』の敏腕女社長としても有名な太田光代(おおたみつよ)さんです。

歯に衣着せぬ発言や、決断力の早さと的確さがかっこよくて、大好きなんです。

これまでいろんな経験をされてきたんだろうなと想像できますが、そんな彼女の半生に注目です!

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太田光代のプロフィール

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本名:太田 光代(おおた みつよ)旧姓:松永
生年月日:1964年7月6日(50歳)
出身地:東京都府中市
身長:159㎝
兄弟:ひとりっ子
血液型:B型

光代さんの母親は、39歳のときに未婚のまま彼女を生みました。相手は壱岐の島に住む男性ということを光代さんがツイッターでつぶやいています。

事情は分かりませんが、高齢出産で未婚、お母さんの意思の強さを感じます。

光代さんが1歳半のとき、母1人子1人の生活に試練が訪れます。光代さんが股関節脱臼であることが判明したのです。

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1歳半というと歩き出したころで、脱臼している方の足をかばうような形で歩いていたか、歩けない状態だったのか。

この病気の多くは生後まもなくの検診で発見され、早期の治療により完治しますが、光代さんのように歩き出す時期に発見された場合は重症化している場合がほとんどです。

光代さんも「治療しても普通に歩くのは難しい」と言われ、1歳半から3歳まで長期間の入院を余儀なくされました。

入院中はイジメも経験したと言います。そんな辛い時期を経て、奇跡的に足は回復。小学校高学年になる頃には普通に歩いたり走ったりできるようになりました。

光代さんは、自身の経験から同じ病気で悩んでいる人たちの手助けをしたいと考えているようです。

母親の結婚で新しい父親が

6歳のとき、母親がお見合い相手と結婚することになりました。

結婚に反対だった光代さんは、母に「私がいるだけじゃダメなの?」と聞くと「ダメだ」とはっきり言われます。お母さんの気持ちも分かりますが、子供にとってはキツい一言ですねぇ。

そんなこんなで新しい父親にも馴染めずにいた光代さんでしたが、あるとき2人で映画を観に行ったことがきっかけでその距離は急速に縮まって行きます。

気づいたら父のことが大好きになっていました。父はとても優しい人でしたが、物事を斜めに見る鋭さと奥深さがあって。父にはだいぶ影響を受けました。

どうやら現在の光代さんの精神部分を形作ったのは、父親の影響が大きいようですね。でも「物事を斜めに見る鋭さ」って、夫の太田光さんにも通づるものがあります。

既に亡くなられているそうですが、大好きな父親への想いをツイッターに綴っています。

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太田光との出会い

高校卒業後にスカウトされ、モデルの世界へ。コンテストで水着姿で顔真似を披露したことで、太田プロに引き抜かれ『モノマネ芸人』として売り出されます。

モデルだったのに(笑)

それがきっかけで太田光さんとも出会ったわけなので、結果オーライでしょうか。

爆笑問題は太田プロの同期。
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あるとき、春一番さんたちを含めた同期メンバーで合同コントをしようということになり、光代さんの家に集合。このとき初めて太田光さんと顔を合わせました。

そのメンバーに、光さんに好意を寄せる女性がいて、光さんがそれを拒んでいる様子が見て取れた光代さんは「光さんを救うつもり」で自分の隣に光さんを呼び寄せ、机の下で手をつなぎました。え?なんで??

「自分に気がある」と思った光さん(まぁ当然ですよね)みんなが帰っても、光代さん宅に居座り、そこから同棲がスタートしたそうです。

初対面から交際開始というスピード。

1988年ごろから交際が始まり、2年後の1990年秋に結婚しました。

夫が事務所を辞め、自ら社長に

結婚の直前に、爆笑問題は移籍を考え、お世話になった太田プロを一方的に辞めてしまいましたが、移はも失敗。かなり不義理な辞め方をしたため、仕事はゼロに。

そのときの光代さんはさぞうろたえたかと思いきや…

自分たちだけでできると思ったようですけど、私はそんな甘いもんじゃないと冷ややかに見ていたんです。

さ、さすが肝が据わっています…男らしい。

光代さんがタレント業のかたわらコンビニでのバイトや質屋通い、パチスロ(!)で生活を支えます。その傍ら、光さんはファミコン三昧の日々。完全にヒモ状態ですね。

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しかし光代さんが問題視したのは、そんな光さんではなく、相方の田中さん。同じコンビにでアルバイトをしていた田中さんがあまりにも生き生きとしていて、このまま芸人を辞めてコンビニの店長を目指すんじゃ…という不安がよぎりました。

爆笑問題の才能を消えさせてはいけない!

『会社の作り方』といった類いの本を大量に読んで勉強し、1993年にタイタンを設立しました。

不義理をした太田プロに爆笑問題の2人を連れて出向き謝罪、自身も太田プロを辞め、会社経営に専念することとなったのです。

「お笑いのプロにネタさえ見てもらえれば、絶対に興味を持ってもらえる」年2回の単独ライブ開催。業界関係者にライブを見に来てもらえるよう、熱心に営業活動を行い、ときには土下座をすることもあったそうです。

その甲斐あって、初めてライブを行った翌年にはなんと4本の新番組のレギュラーを獲得するほど!

ここから爆笑問題の快進撃が始まったんですね。今でも仕事の決定権はすべて光代さんにあるというほどで、爆笑問題の活躍はすべて光代さんの手腕にかかっているということです。

かっこいい!

辻仁成さんや、イラストレーターの326(ミツル)さんも光代さんに引き抜かれた人たちです。こうやって才能を見抜く力、素晴らしいです!
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ふなっしーも狙っていたようです(笑)

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